乱世の悲劇ょう比び麿ま様が子孫にお伝えになりましたものだそ盛ものざん言を信じた織お田だ信の長なは、野山をおお こ 井戸の んく んいぶらにばやま と いん んりぶりぶがつさろちんんしまんうさつぶしりえすいくわいんずぶとぶ ぶがんいところが、天て正しのころ、刈か谷や城主佐さ久く間ま信のその時、この大切な家宝の金の鶏は絶対敵城は焼け落ちてあとかたもなくなってしまさて、皆さんは、今年の正月その金の鶏のょう賢け意いと号しました。そのため、久松氏の家名るぞ。なにとぞ、お覚悟を……。」今はこれまで、共に父上の許もへ参ろうぞと幼い手で刺しちがえた小金丸・吉安丸、腹に大刀を突き立てた老臣の上に、どっと火を吹く城の屋根がくずれ落ちていきました。こうして、由緒のある坂部城は灰か燼じに帰し、この阿久比には、城と名づけられるものは一城もなくなってしまうことになります。さて、奥方と女・子供たちは、夜陰にまぎれて無事に奥方の実家佐さ治じ氏の宮み山や城じに落ちのびることができました。その隠れしのんだ谷を、人々は「姥うケが谷だ」と呼んでおります。また、大野に逃れた奥方は、宮山城で無事玉のような男の子を産むことができました。この久松氏の正統の子は信の平ひと名づけられ、大切に育てられましたが、青年になって無常を感じ、父や兄たちの菩ぼ提だを弔うため出家し、はお大の方の産んだ子に受け継がれます。鶏は別名を早起き鳥と呼ばれ、朝早くから時を告げて一日の元気な働きを誘う鳥です。その卵は、農家の貴重な蛋た白ぱ源で、戦前までは、どの家でも数羽を飼って、その飼育は子供たちの仕事になっていました。ところが戦後は、一般家庭で飼われなくなり、営利専業になりました。当町萩地区では、たいへん盛んでした。さて、その鶏にかかわる当町の昔話二題をおおくりすることにしましょう。むかしむかし、坂部のお城には立派な床と置きの金の鶏がありました。聞くところによりますと、この阿久比をお開きになりました英えうで、城主の久ひ松ま様が、代々家宝として大切にお守りしてきたものなのだそうです。うような大軍をさし向けて坂部城を攻めさせましたので、城はたちまち火に包まれ、落城してしまいました。の手に渡してはならないと、城主家老はこれを城の東にあった深い井戸に投げ入れてしまいました。いましたが、それからというものは、毎年正月一日の午前一時になると、城跡から、暁を告げる鶏の声が聞こえるようになりました。ょう城じの新し海か氏を屈服させた水み野の信の元もを、佐さ久く間ま信の盛ものざん言を利用して、甥おの徳と川が家い康やの手で殺ょうたように、戦国時代は弱肉強食の世であった。えて、織お田だ信の長なは家臣団の再構成を計り、たとえ以前に有益な協力者であった者でも、自分の意にそわぬ者は次々と粛し清せの矢を向けていった。柳り審しさせ、同じく坂部城主久ひ松ま信の俊とも大阪四し天て王の寺じで切腹させ、城を焼亡させている。切腹の理由は、本願寺攻撃に手抜きがあったという罪状だが、阿久比谷門徒の参加する石い山や本ほ願が寺じ攻略に手加減があったのかもしれない。しかし、それは口実で、戦国時代終末に向けての犠牲なのである。刈谷・知多東部を領した信盛も、間もなく追放されている。なお坂部城は、柳審城や他の山城と同じく、ワラや板ぶきの粗末な平屋で、天守閣を持つ城は安あ土づ城じが初めになる。第二十話の解説で述べ天下統一を目前にひかゅくゅう第二十三話金鶏金 の 鶏8584─ 坂部城趾 ─
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