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かいょうょう んん ずいいもんかば つりんかがり巴 うん  げつしなんうちいん ら すえわくわ うんがぶけつでんたく とらうぎわょうゅうょう織お田だ信の長なが本ほ能の寺じで明あ智ち光み秀ひに不意討ちさ子こ浜から小舟で大野へ上陸したのですが、明路じの長な坂さ弥や左ざ衛え門も守も勝かでした。その日は、日の上で三河へ戻ることにしたい。どこぞで、舟と心きいた船頭を探してきてくれぬか。」「はい、委細かしこまってござる。」れたのは、天正10年6月2日のことでした。その時、徳と川が家い康やは泉州堺さにおりましたが、密偵の急報で、ひとまず三河へ帰り善後策を考えようと決心し、伊い賀がを越え伊い勢せへ出て、白し智の兵や野盗の襲撃を受けて、その逃避行はさんざんなものでした。「殿、船頭を召し連れました。この者は宮津村の新し海か八は郎ろ左ざ衛え門もと申され、以前は武家なりし由、土地のたばねもいたしており、心許せる者と察せられましたので、腹をうち開けて頼み入りましたるところ、心よく承引いたしくれました。」〽よしある山は入て見まほし「心」を詠ういこみ、動きを準備したのは、生い中はけたたましく雲ひ雀りもあがり、汗ばむ程のいい天気でしたが、座の進行とともに日も傾き、全く快いのどかな夕べとなっていました。しかし、ここ水み野の無む仁に斎さ正し勢ぜの催す連歌の席は、「句付け」を競い合う張りつめたものとなっていました。九十五句目を紹し巴はの高弟心し前ぜが詠よみます。〽引きかくす……。「おお、そうであったか。おおかたは聞き知ってくれたであろうが、余は家康じゃ。よしなに頼み入るぞ。」「もったいないお言葉でござりまする。わが家は柳り審し城じ主の一族にて、落城の後もこの地を離れず、刀取る手に鍬くを持ってはおりまするが、武士の心は忘れておりませぬ。が身に代えても、無事お送り申し上げる所存、心安くおぼしめされませ。」「かたじけない。家康、そなたの恩義、終生忘れぬぞ……。」た家康一行は、半田薬師下から成岩へ出て、常楽寺へ立ち寄り、さらに対岸の大浜へ帰り着くことができました。家康は八郎左衛門の手を取り、その労をねぎらい、今後は新海姓を改めて舟ふ橋はと名のってくれと言い残し、岡崎へ向けて去って行きました。促すように後に続きます。〽引きかくす……。きます。〽花やかすみの……、ねたむらん。〽春の夕べもしら雲の空〽つらにしもわかるる雁かのひとりゐて。迎えての一座の進む方向を示しました。る人々の、声にはならない声と、前の句を詠みかえし、句付けの手がかりを得ようと必死に味わい、口ずさむ息づかいが、いやがうえにも連歌の雰ふ囲い気きを昻ためていきました。〽汀みにさびしあし鴨かの声「さびしさ」が取りあげられました。〽程もなくよせくるなみやたかからむ。この度の殿のご危急、この八郎左衛門、わこうして、新海八郎左衛門の漕こぐ舟に乗っ執筆を務める満み重しのしわがれた声が、先を背をピンと伸ばし、端座した心前の声が響さり気げない宗そ倫りの受けです。透きとおる宗そ匠し里さ村む紹巴の詠みが、終末を再び、今度こそはわたしが付けようと期す第十九話里 村 紹 杜 若 連 歌7372

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