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草木と利家かいさけ「はい、確かに私がお預りいたし、末永くご神宝としてお守りいたしましょう。」 ─多左衛門は、街道を次第に小さく遠ざかって行く馬上の影を目で追いながら、いつまでも立ちすくんでおりました。「奥方様も、聞くところによると、おかわいそうなお方だそうな。初めてお嫁に行かれた岡崎のお城へ竹千代様という三つにもならぬかわいいお子を残して帰されたばかりということだ。」「わしら下々の者には、事の次第はようわからんが、いくさというものはむごいものよのう……。」「ご不縁になられたが十七歳というお若さでよ、岡崎のご家来衆が大勢泣きながら送ってこられたそうなが、国く境ざで皆帰され、村の百姓衆に輿こをかつがせたということだ。形か原はのお城を同じように離縁されたお姉上様を送ってこられた方々が刈谷で皆殺しにされなすったのとは大変な違いだと、三河だと、えらい評判だそうな。」「お若いのに、情なをよう心得しゃったお方よのう。……お殿様も、このごろは晴れやかなお顔にお見受けするし、前のお子、弥や九く郎ろさ天て文ぶ16(一五四七)年の初夏、ここ坂部の城外では、かぐわしい薫く風ぷがそよそよと稲田を吹き渡っておりました。「のう、お殿様が緒お川がから新しい奥方様を春先にお迎えになって、もうかれこれ三み月つになるかのう。おかん様のこともあって、なんとなく華はやかなご婚礼も冷たく感じられたが、このごろでは、お城も村も、穏やかに落ち着いて、わしらまでなごんできたわ。」「そうよのう。これも今度の奥方様のお人がらによるのかもしれんて……。」まもはしゃぎまわっておられるということだ。」「ほんに、うれしいことだのう。物ぶ騒そな世の中で、南では戦が始まっているが、おかげでここは、よい取り入れが出来そうだ。」「あ、それで思い出した。先ごろ名な主ぬさまが城内へ呼び出されて、奥方さまから棉わの実をいただいてこられた。綿を作って紡つげと言われてな。」「そうかえ。それはありがたい。なかなか手に入らぬものを……。ほんにお心の深いお方じゃ。わしらも精を出さねばのう。」そりと座っておりました。華やかな調度に囲まれたその部屋は、数か月前の婚礼のなまめかしさを残しつつも、城主の奥方の住まいとしての落ち着きを見せ始めておりました。う しつ いしたらに影むたしっうお 大 の 方いう ちんちめんいえう えしえがぶういうつきな333きわ風 んんんうお大だの方は、まだ木の香の漂う一室にひっ夫、坂部城主久松俊と勝かは、打てば響くよう略の戦功で許され、その後、数々の武勲によって信長・秀吉・家康に重任されて、加か賀が百万石の大名になった。正し盛せ院い過去帳に前ま田だ与よ十じ郎ろの名があり、家紋の梅う鉢ばと共に草木との関係が深い。利家が神宝を寄進したと言われる東八は幡ま社は、社伝によれば、康こ正せ元年の創建、天正4年9月修復の棟札があり、昭和4年西社を合祀した。拝殿には大日堂鬼瓦を削って使用したという。前ま田だ利と家いは荒古のょう長なの怒りに触れて追ょう出身で、永禄2年主君の寵ち童ど十じ阿あ弥みを切ったため、織お田だ信の放されたが、永禄4年美み濃のの斉さ藤と竜た興お攻ゅうゅう薫   面   第十七話6362─ 八幡社 ─

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