らいゅう雪せ舟しという禅僧でありました。ゅうょうょうょうんだのでした。衣ヶ池の周りは、うっそうとした大木が生い茂り、昼なお暗い、いかにも竜が住んでいそうな池で、村人たちもあまり近寄ろうとしませんでした。旅僧は一人で池のほとりに祭壇をつくり、前に盥たを置き水を汲んで、お祈りを始めました。二日、三日、五日と過ぎ、七日目の夕方になると、池の上空に真っ黒な雲が広がってきました。村人たちは、「今度はほんとうに雨が降りそうだぞ。」と言って、空を見上げていました。そのうちに、大粒の雨と共に強い風が吹き、大雷雨とその後、日照りの時にはこの竜の絵を出し、盥に水をいっぱい張って七日間祈願をすれば必ず雨が降り出すので、〝雨乞いの竜〟といわれ、寺の宝とされました。この長光寺は、文ぶ亀き3年法ほ誉よ上人が雪舟の号をとり、竜り臥が山さ雲う谷こ寺じと改め、浄土宗に改宗されたといわれます。なり、人々はみんな家へ入って、しっかり雨戸を締めました。も近づけず、眼のあたりに見た竜の姿を絵筆に託して一幅の絵にし、お寺と村人たちに別れを告げたのでした。この旅僧こそ、雲う谷こ庵あがありました。「和お尚しさま、大変でございます。」「作さ兵べ衛えさん、こんなに朝早くから何事ですかな。」「はい、昨夜ご本尊の阿あ弥み陀ださまが私の家へおいでになり、〝作兵衛や。わしはこの雲う谷こ寺じに永らくいるが、三河のお寺へ行ってみたい。そなた、わしを送っていってはくれまいか。〟とおっしゃるのです。私も本当に困ってしまい、〝早速和尚さまと相談してご返事いたします。〟とお答えをしますと、阿弥陀さまは、〝しかと頼んだぞ〟と言われて、姿をお隠しになり旅僧はなおも祈りを続けています。すると、池の水面に大きな泡がブクブクと立ち、それが大波になったかと思うと、低く垂れこめた黒雲めがけて、一頭の竜がものすごい形ぎ相そで舞い上がっていきました。旅僧は、一心不乱しっかりと頭の中にしまい込みました。昔のお寺は貧乏寺が多く、いろいろなことに経き文もを唱えながら、初めて見る竜の姿を翌日から旅僧はだれた。文正元年より一年余、明みに渡り、帰国後二十年くらい各地を巡り、多くの作品を残した。大野斉さ年ね寺じには「慧え可か断だ臂び図ず」(重文)があり、当地にも来訪したと考えられる。なお、本文中の衣こヶが池いは、今の丸ま山や公園付近にあったという。ろも一五〇六)は山水画の大成者。12歳で京都相そ国こ寺じに入り、禅の修行のかたわら画業研さんに努め、後山口の雲う谷こ庵あに住しゅう雪せ舟し(一四二〇~まるけんいんん雪舟 っくうんくんんくくくんん んうっ 阿弥陀替え んくん んう 第十二話4948─ 雲谷寺 ─
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