地 名 の 話 ⑴卯 之山 皆さんは、ご自身の姓の由来をお知りになりたいと同じように、自分の住んでいる町や地の名まえの由来に興味をお持ちでしょう。古来、地名に言及し、ユニークな考えを述べておられる人が多いのですが、地名を科学的に解明しようとする研究が緒についたばかりで、結論は将来にゆずり、ここではいろいろな説を紹介するにとどめます。(出典はスペースの都合で省略します。)阿久比を見る限り、ヒのように思われます。しかし、昔のヒは現代はイと発音されることが多いのです。(歴史的かなづかい─現代かなづかい)念のため、日本の同名地も含めて、アグイが昔どう書かれたか調べてみます。ヒ─ 阿久比・英比・空干・足咋・安喰・飽喰・足杙……イ─江入・阿古居……その他─江古谷・開江・阿古屋……この中、喰・杙は、歴史的かなづかいはクヒですが、現代ではクイと発音します。そう考えると、昔はアグヒ3だったが、現在はアグイとするのがよいのではないでしょうか。なお、クかグか、これ各地区の地名の由来についてのいろいろな説を紹介してみましょう。松 の津(長く尾を引く崖がのある港)ウ舟人の目印や舟つなぎ松のある港萩 ウハリ(開墾地)津 (いくつかの入り込みある港)ハ中心の港住 れた地形の隅ウ県あ社に守られた福の住む地山 奥山ウ板屋根の点在する山村 沢 (伝説)〈養老年間、正し保ほ新田と言われた〉木 地)ウ木く迫さ(薪を取る地)エ坂部連薬くの名から(伝説)部 の村)ウ坂さ部べ連薬の姓エ坂部三十郎家の縁えウ卯の花咲く山〈卯坂は前二つの合併〉ア横回りの津(入江の横の港)イ横ママア脇わ(宮津の隣)イハイ(小さな平地)ア宮の津(熱田社のある港)イ三谷やの津ア深隅(海の深く入り込んだ地)イふくアイタタラ山(鋳物を造る地)イ至ってア白埴ね土の沢イ後うの沢ウ英比麿の命名地ア草切・草起(開拓地)イ奥去り(奥のア酒部(酒造者の住地)イ坂辺(坂の下ア海う止や(海岸)イ兎の山(弘誓院伝説)がたしろょうすりかんみみ ご ば え き 地 名 の 話 ⑵ け くえ 説説説 に説説 ア 、昔、中央に入江の海があったから─江入・開イ 、この地の土は粘土質で、雨後の歩行が困難とウ 、アグ・アク・アコは南方海洋民族語で、低地・エ 、アグ・アゴはリヤン語で国くを意味し、この地オ 、米がよく育ち、食料の豊富な、食生活に満ち稗 の宮 大 古根 も問題となるところです。江・空干・江古谷 なるから─足咋・足杙 珠がとれたから─阿古屋 にいる人だから─阿古居 たりた土地だから─飽喰 まだまだいろいろありますが、さて皆さんはどの説に賛成でしょうか。法令が出ており、公式書はすべて英比郷・英比荘と記載されましたが、地名の英比はエイビではなく、アグイと読んだものでしょう。祀る地エ稗ひ豊作の神の地立つ土地邪鬼を埋めた丘 〈椋岡は前二つの合併〉 〈矢高は前二つの合併〉植 が青々と繁茂する地エ丘の形(大河のもと)〈昔、石坂村と市場村に分かれていた〉 〈植大は前二つの合併〉以上が阿久比谷十六か村の村名で、現在も地名として残っているものですが、それぞれの地名には前述のように私たちの祖先や先住者の長い思い出が残されています。そういうことを念頭に置いて、皆さんの住む字名の由来をいろいろ考え、皆さんで話し合ってみましょう。入り海・海女・真珠貝を意味し、当地の海で真は文化が早く開け、独立国となっており、そこ奈良時代の初め、地名には佳字を用いよというア干江(海岸)イ英比の転倒ウ日ひ吉え神を原 ア椋むの木の生えている原イ椋の大木で目岡 ア津の岡(港の奥の丘)イ平泉寺伝説の口 ア谷やケ地(谷の口)イ箭や比ひ神社の地岡 文字どおり高い丘ア上う(高いところ)イ海う江えの山手ウ植物ア尾小根(小高い丘の延長地)イ大河根 ① 横 宮 福 板 白 草 坂 アグヒ3かアグイ3か 椋 角 矢 高 ② アグイは何を意味するか③ 英比はなんと読むか3534
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