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平 泉 寺比ひ叡え山ざを開き、天皇の厚い帰き依えを受けた伝でょう教き大師(最さ澄ち)は、教えを広めるため、幾人ょうさぎかどいょざいんきうんん   つ   いくくうえ   ゃんんいょ うんょ だといんゃ んいん うんょうのご命令で、日本中のお宮やお寺で敵国降伏のお祈りが行われたが、この平泉寺でも、村人たちが一生懸命お不動さまを拝んだので、そのかいあって、神風が吹いて蒙古の船は全部沈んでしまったんだよ。」「おじいちゃん、ありがとう。みんなに話してやるよ。」れました。深々と青く澄んだ豊かな水をたたえたその池が、渡るそよ風の影を受けたように、中程にちりめんの細波を漂わせ、そこから妙たなる音楽が流れ出ているのです。気のせいか、馥ふ郁いとした名め香この香りもしてきます。大師は、思わずひざまづいて、池に向かって手を合わせ、一心に法華経を唱え始めました。大師の突然なしぐさに、しばらくけげんな顔つきだった伴の僧たちも、次第に真剣な師僧の姿に打たれて、いつとはなくその背後にひざまづいて、唱和してゆきます……。どのくらい、時がたったことでしょうか。突然、空に紫雲がたなびき、池の中から、「十方三世諸仏、一切の諸菩ぼ薩さ、百万の聖教、 皆この阿あ弥み陀だ仏をたたえたもう……。」と声が響き、池の中央から金こ色じの光が立ち昇り、次第に四方へ広がってゆくのを、人々は見たのです。す。かの伴人を連れて、全国行あ脚ぎの旅に出ました。その道すがら、ここ英比の郷さに足を踏み入れておりました。包むなだらかな山ふところの池のほとりにさしかかったとき、大師はふと、歩みを止められ伏してふし拝みました。真っ白な兎うが走り出してきたかと見ると、その光めがけて、ザブーンと身をおどらせたのです。ところへ、何か小さな物をくわえてくると、そっと大師の手にそれを載せて、何度も振り返りながら去ってゆきました。弥陀さまでした。そのお姿は、まことに尊く輝き、じっと、大師にほほえみかけておられました。上されました。帝みはたいへんお喜びになり、池のほとりに勅願寺を建て、兎と養よ山さ長ち安あ寺じと名づけるよう命じられました。大師も、一刀三礼して阿弥陀如に来らの木像を刻きまれ、その胎た今から千二百年ほど前、弘こ仁に年間のことで秋の風が膚はに心地よく、濃い緑が穏やかにあまりのありがたさに、人々は皆、地にひその時です。突然、どこからともなく、そしてまだ、夢うつつに拝んでいる人々の兎が池から運んできたのは、一寸七分の阿伝教大師は、早速、このできごとを都へ奏陀だ如に来ら座像」など平安時代の貴重な仏像がある。頼朝は、野間へ墓参の際、当寺に立ち寄り、円月坊と称するよう命じたという。山号は鳳凰山。毎月28日護ご摩ま祈き祷とが行われ、尾張不動尊のほか、県指定重要文化財の「毘び沙し門も天て立像・阿あ弥み平泉寺は、平安密教の流れをくむ天台宗の寺で、寺伝によれば、天て長ちう7(八三〇)年、淳じ和な天皇が慈覚大師に命じて建立させたもので、源ゅん第六話兎の運んだ仏様池上の紫雲2524─ 平泉寺 ─

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