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 き  ど   らつかの   くんいううんじおり「今年の夏の日照りは、いつまで続くのだろう。あー、雨がほしい。」「田んぼの水はおろか、井戸まで干ひ上がってしまった。」「そのうえ、子供がはやり病いにかかって、泣き止まんで、困っている。」「夕立ちでもいい、ほしいのう。」ここ角つ岡お村(今の椋岡)では、何回雨乞いをしてもそのききめがなく、田んぼの稲が枯れ始め、飲み水すらなくなるありさまでした。おまけに、疫え痢りがはやり出し、どこの家にも病人が高い熱を出して、苦しんでいました。そのころ、都(京都)では、第53代淳じ和な天比ひ叡え山ざの「慈じ覚か大師」という偉いお坊さまをゅん皇の御代でしたが、ある夜天皇は、鳳ほ凰おという鳥が、何羽も群れをなして尾張の国へ舞い下りたという夢を見られました。そこで早速、呼び寄せ、「汝な、これから尾張に行って、鳳凰を見てくるように」とお命じになりました。そして船で知ち多た郡ごへやってまいりました。倒れている人、家の中から「水、水をくれ」と呼んでいる人、さながら、地獄のありさまでした。けください。」とすがりついてきました。そっとうなずいた大師は、そばにあった井戸をのぞいてみると、やはり一滴の水もありません。泥を落として「南無妙法蓮華経」と書いて井戸の中に投げ入れ、一心不乱にお経を唱え始めました。村人たちも、手を合わせて、一生懸命お祈りをしました……。チョロと清水が湧き出し、やがては井戸いっぱいになり、しかも水面には、緑の松の影が映っているではありませんか。「おお、水だ、水だ。」と、のぞき込んだ村人たちは、その影に驚いて、思わず、あたりを見回しましたが、付近には、それらしき松の木はありません。にとこの水を飲んで喉のをうるおし、そして井戸を伏し拝みました。ありがたいお水だからと、正月の若水や延命水にと、遠方からも汲くみにくるようになりました。南の田の中に水をたたえています。大師は早速支度をして、京都から伊勢へ、船を宮津へ着け、角岡村まで来ると、道に大師を見つけた一人の村人が、「どうかお助大師は、道に落ちていた一個の石を拾い、すると、不思議にも、井戸の底からチョロ喜びと驚きといっしょになりながら、我先その後、この井戸を「唐か松まの井戸」と呼び、現在も、椋岡の平泉寺から百メートルほど第四話唐松の井戸2120

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