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さきくさょうるぎにのみやつかたしろ春の穏やかな日に、海には、時ならぬ立派な大船が幾そうも並んでいて、岸から大勢の兵士たちが乗り込み、紺こ青じの海に真っ白な帆を輝かせながら消えて行ったという。そして岬みには、たくさんな家来衆を従え、玉をちりばめた剣つを腰にはかれた、見るからに身分の高そうなお方と、それはそれはお美しいお姫さまとが、次第に小さく去ってゆく船影に、いつまでも、いつまでも手を振っておられたそうな。なんでも、その尊いお方は、都の天子さまのお子で、ヤマトタケルノミコトさまと申され、ご命令を受けて、陸路東国征伐にお出かけの途中、ミコトの味方をされた尾張の国くこ造タケイナダネノミコトが、海軍を率いて東国へ向かわれるのを、ここまで見送りにおいでたのだそうな。え、そのお美しいお姫さまは、どなたかって……。さて、どこまでお話をしましたかの……。そうそう、この宮津から、ヤマトタケルノミコトさまとミヤズヒメに見送られて、タケイナダネノミコトの船団が船出したところまででしたかの。ヤマトタケルノミコトさまは、無事東国征伐を終えて、陸路尾張へ帰っておいでたが、船でお出かけのタケイナダネノミコトには、大変な事が起こっていましたのじゃ。勝ち戦いの帰りの船の中で、ミコトは真っ白な鳥がへ先に止まっているのを見つけられた。みやげにと捕えようとしたとき、突然船がぐらりと揺れて、ミコトは広い海へほうり出されてしまわれた。さあ、大騒ぎになってしもうた。しかし、 33塚    5    4   ん ノミコトの妹ごさまで、ミヤズヒメと申され、ヤマトタケルノミコトさまが兄君の館やをお尋ねなされたとき見染められ、東国征伐が終わったら結婚しようというお約束ができていましたそうな……。宮津というのかって……。こには、阿久比三の宮の熱田明神さまのお社やがあり、タケイナダネノミコトの率いる尾張氏の一族の人がここで知多を治めておいでになったが、そのころは今と違ってここが立派な港になっておったので、お宮のある港という意味で、宮津というのだと聞いております。分かりませんがのう……。そのお姫さまは、なんでも、タケイナダネえ、なんですかの……。ミヤズヒメがおいでた所だから、この村をはい、そうとも考えられましょうがの、こさあ、どちらをとるか、わしらには、よう② 二 子 

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