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第92号(平成28年11月)朱鷺の郷

[2016年11月18日]

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執務中の町長

阿久比町長 竹内 啓二 

朱鷺の郷

皆さんご無沙汰しておりました。

立冬も過ぎ、今年も残すところ50日を切ることになりました。例年に比べ今年の秋は短かった気がします。夏の残暑が続くと感じていたら、日を置かずして朝晩にはストーブをつけなければならなくなるほど気温は下がり真冬が迫ってきています。体調管理には気を付けて風邪などおひきにならないようご注意ください。

10月と11月は、県外出張が重なり町長室だよりの更新が遅れたことをお許しください。

その分長めの便りになってしまいましたが、最後までお付き合いくだされば幸いです。

 

ニッポニア・ニッポン(朱鷺)

「自然との共生による町づくり」の研修テーマで、11月8日、9日の2日間新潟県佐渡島へ県の職員と知多郡内5町の町長さん方で行政視察に行ってきました。

ご存知のように佐渡は「トキ」の保護と繁殖放鳥をしており、先日自然界で生まれたトキが親鳥となってヒナが誕生したニュースが報道されました。一度は絶滅したと思われたトキが人間の努力によって野生のトキとして生態系を作ろうとしていることは画期的な出来事であると思います。

ここまでの道のりを辿ると、日本と中国の両国が国を挙げての共同事業として取り組んだ日中友好の結果であり、尖閣諸島を巡って争っている現在の両国の関係からは想像もつかないことです。

日本の朱鷺は、昭和56年に最後の5羽のトキが佐渡で発見され保護されました。国外では絶滅したと考えられていたのですが中国で7羽発見され、以後両国間でペアリングを試みるなど大変な努力と研究がなされたようです。失敗すれば地球上から一つの生命種が消えるわけですから今回の成功がいかに素晴らしいかということです。

トキの森公園内のトキ

「トキの森公園」内のトキ

阿久比町もヘイケボタルの保護と養殖に力を入れていますが、町内のホタル数は減少傾向にあり、今私たちが真剣に環境保全に取り組まなければならぬと、「トキの森公園」内で、安心して餌をついばむトキを眺めながら思いました。

佐渡市役所では、農業政策やトキの保護活動について説明を受けました。私はホタルの養殖の大変さを実感しているだけに、地元民と行政の狭間でご苦労されている職員の言葉が胸に染み入りました。

農業は自然の恵みを受けるとともに、自然との闘いでもあります。その中にあって我々人類を始め、生きとし生けるもの全ての生命体が共存できうる環境を、いかにして守り、作りあげていくのかは、永遠のテーマであり命題でもあります。

私はいつも「バランス」を念頭に思考します。コップの中の無色透明な水に落としたインクが水に溶け込み馴染むように、安定を求めて密度の濃いものから薄いものへと、拡散と移動によりバランスを取ろうとするからです。想像を超える大宇宙でさえも拡大を続けていると言われますが、この動きも同じではないでしょうか。ニッポニア・ニッポンの話から宇宙にまで話が飛んでしまいましたが、空を飛ぶトキの羽の色は「朱鷺色」と呼ばれるオレンジ色がかったピンク色で美しく、「ニッポニア・ニッポン」の学名をいただけたことは日本人として嬉しく思いました。

佐渡島

ここからは、行程を振り返りながら皆さんを佐渡島へお誘いします。

佐渡は日本で一番大きな離島で、新潟港から40キロの沖合にあり、飛行機の旅客便がないため、2日間の行程はかなりキツイものとなりました。11月8日の午前6時30分にセントレアに集合し、午前7時35分発のANA1811便で新潟空港へ飛び立ちました。

中央アルプスの山々

プロペラ機の中から見た中央アルプス

中央アルプスの山々の絶景を眼下に観ながら1時間のフライトでした。胴体着陸が得意なプロペラ機ボンバルディアであったため、揺れがあるたびに緊張してしまいましたが、新潟空港へは無事に車輪で着陸することができました。

新潟港へ向かう途中で信濃川河口に建っているコンベンション施設「朱鷺メッセ」に立ち寄り、市内一番の高層ビル(31階)の展望台から、日本で一番長い信濃川と阿賀野川が日本海に注ぐ肥沃な土地に開けた新潟平野を一望しました。

展望台からの眺め

日本海に注ぐ信濃川と阿賀野川

朱鷺メッセから桟橋までは回廊で繋がり、佐渡汽船のジェットフォイル高速船で、両津港へ向けての1時間5分の船旅に出ました。(帰りは海が荒れ高速船が欠航したため、カーフェリーで2時間30分もかかりました)。30人ほどのデンマーク人の観光客と同船しましたが、心地よい船内でウトウトと眠りについてしまいました。島が近づきだしたころ目を覚ますと、窓の外は一変していました。鉛色の雲が空を覆い、海面には白波が見えます。両津港は佐渡島のくびれのある東側に位置しますので、島影を左手に見ながら一定の沖合を、島を左回りに進み、港へ向かいました。

初めて降り立った佐渡は生憎の雨でした。昼食を取った後、佐渡市役所へ向かいました。平成16年に1市7町2村が全島合併し、大きな佐渡市となったわけですが、面積は855.61平方キロメートルと言いますから、知多半島391.73平方キロメートルの2.18倍にもなり、私の「離島は小さい」という概念は吹き飛んでしまいました。しかし人口は約56,000人で、知多半島の622,800人の9%にもなりません。そして毎年1,000人の人口減少が進んでいると聞き、過疎化問題の深刻さを実感した次第です。

市長を表敬訪問したのち、各担当者から説明を受けました。紙面が少ないので内容は省略しますが、環境保全型農業を促進するための「朱鷺と暮らす郷づくり認証制度」などのお話を伺いました。その後「トキの森公園」で朱鷺たちを間近に見ることができました。係りの方から生態についての説明を受け、日も沈み気温が下がり始めトキが営巣へ入るのを見届けて私たちも宿へ向かいました。

2日目

翌日は低気圧の影響で、霰(あられ)が宿の窓を打ち付け驚いてしまいました。ジェットフォイルも波が高いので欠航になる可能性が高いとの連絡があり、出発を午前8時に早め、史跡佐渡金山に向かいました。

道遊の割戸

史跡佐渡金山「道遊の割戸」

まず目に入ってくるのは、山がパックリ割れた「道遊の割戸」と呼ばれる露天掘りの跡です。江戸時代に人力により金銀鉱石を掘った跡で、見事に山を真っ二つに割っています。1601年から平成元年の操業停止まで約400年間、金銀を求めた人の執念を感じさせます。佐渡金山は主要金鉱脈が8本あり東西3,000m南北600m深さ800mに広がり、掘り進めた坑道の総延長は400キロメートルに達しています。この間に採掘した金は78トン、銀は2,330トンであったそうです。

採掘現場の人形

江戸時代の坑道の様子

私たちは江戸時代の坑道「宗太夫抗コース」を選定し、採掘現場の暗い坑道を見学しました。金脈は岩石の中を帯状に走り、それに沿って這いつくばって掘っていく当時の人の苦労が偲ばれました。

坑道から出ると、私たちを待っていたのは山々の美しい紅葉でした。黄色や朱に彩る木々の素晴らしさに堪能しながら思ったのですが、暗い岩穴の中では色が忘れ去られていることでした。色のない世界から一番輝く色の黄金が採掘されること自体が、自然界の冥利と感じられました。

坑道出口の近くの中腹に洞穴を見つけ近寄ってみると、「無名異焼」の立札がありました。無名異焼とは佐渡の焼き物で、常滑焼の朱泥によく似た土です。聞くところによると、金鉱脈の近くからこの朱色の土が出土し田土と合わせて無名異焼の陶土を作るそうです。洞穴はその土を採掘した跡とのことでした。朱泥の土が金鉱脈の隣から取れるということは、もしかすると朱泥の急須を造っている常滑でも金鉱脈があるかもしれないと考えたのは私だけであったのだろうか・・・。

北沢浮遊選鉱場

金鉱石を処理していた「北沢浮遊選鉱場」

次に訪れたのは、金鉱石を処理していた施設である「北沢浮遊選鉱場」でした。明治41年に建てられた火力発電所や、昭和15年に建設された泥状の泥鉱を鉱物と水に分離する直径50メートルの「シックナー」があり、国の指定史跡になっていました。見た瞬間、長崎の軍艦島の遺跡を彷彿させるものがありました。どちらも主亡き後のコンクリート建物が不気味にその姿を雨に曝していました。これらを含め、佐渡金山として世界文化遺産に登録されることを期待します。

夫婦岩

車中より眺める「夫婦岩」

日本海の荒波を見ながら夫婦岩(二見ケ浦より大きく、岩の割れ穴が観音様に見える)を車中より眺めながら、日蓮が佐渡へ流されたときのゆかりの寺「妙宣寺」へ向かい、新潟県内唯一の五重塔(国の重要文化財・高欄のないことで有名)を見学しました。佐渡島へは日蓮のほか、「承久の変」に関わった罪で順徳天皇が流されたほか、世阿弥も流されており、30を超える能舞台が現存していることは驚きでした。今回見学できませんでしたが、佐渡には、裏日本文化とは少し異なる文化があるようで奥の深さに興味を持ちました。

私自身の中では、先に示した研修目的のほかに、出雲から北上し日本海側に勢力を張った、古代文化圏の跡が佐渡の離島ゆえに残っていないかと期待をしていたこともあり、機会があれば再度訪れてみたい思いながらフェリーに乗船し佐渡を後にしました。

五重塔

新潟県内唯一の妙宣寺「五重塔」

今回の研修は「雨あられ」の言葉通り、雨とあられと日本海のしぶきを受けながら、気温も上がらぬ冬の寒さの中でのことでしたが、多くのことを見聞でき、実りあるものでした。そして最後に思うことは、私たちの知多半島は、気候にも恵まれ食べ物もおいしく、住民生活を送るに本当に適しているところだということです。これらの恵まれた環境を生かしながら住民福祉のために頑張ってまいりますので、皆さんのご支援ご協力をよろしくお願いいたします。

P.S.

新潟港に上陸後、港内にある新潟市歴史博物館へ向かい常設展示を見学しました。

新潟市の歴史は、「水」抜きには語れないほど、深い関わりがあることを知りました。

日本海に注ぐ大河が土砂を運び低湿地という新潟の地を形成し、水運に恵まれたこの地で水上交通の拠点として栄えたことが見て取れます。しかし、時に水が人々に大きな災いをもたらし、立ち向かうことも多かったようです。都市排水について多くの知恵と予算を使ってきたようです。

その後、帰路に着くために新潟空港へ向かい午後7時55分発ANA1812便の搭乗手続きに入りました。

荷物を預けたところで「予定の飛行機が避雷しまして飛ぶことができません。代わりの機を探していますので出発が遅れます」とのこと。慌てたもののどうしようもなく喫茶店で待とうとしたのですが、空港内のすべての店舗が午後7時にシャッターを閉めてしまい、しかたなく搭乗ゲート内の椅子で待つことになってしまいました。

セントレアに着いたのは午後10時を過ぎたころでした。東浦町さんのご厚意で自宅まで送っていただき無事に我が家に帰りましたが、門まで送っていただいた東浦町長さんが一言、「帰ってこんでええ!と、閉め出されとるぞ」なるほど門は固く閉ざされ、門扉の前には菊が整然と並び、侵入者を固く拒んでいるではありませんか。最後の最後までアクシデントの連続でした。

 

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