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第80号(平成27年11月)視察

[2015年11月25日]

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執務中の町長

阿久比町長 竹内 啓二 

視察

皆さんこんにちは。

街路樹の公孫樹も彩りを深め、歩道に金色の葉を降らせ始めました。

いかがお過ごしでしょうか。文化協会や各地区で開催された文化祭も盛大に執り行われました。町民の皆さんの趣味の広さと教養の高さに感服いたしました。

来年は、役場庁舎の隣に新ホールの建設が始まります。完成の暁には、本町の文化の発信場所として活用されることになるものと期待しています。新しいステージでの皆さんの活躍を楽しみにしています。

 

見聞を広める

今回は世界文化遺産に指定された、長崎の軍艦島等についてお話をさせていただきます。

今月の初めに、愛知用水土地改良区の視察で、熊本の通潤橋、諫早湾干拓、筑後川、軍艦島、大宰府へ行ってまいりました。

通潤橋は江戸時代に白糸台地に農業用水を送るために建設された、日本最大級の石造りによるアーチ型水路橋で、当時の土木技術の素晴らしさを見ることができます。私たちの先人が愛知用水の建設により知多半島を潤そうと夢見たように、山都町の先人達も白糸台地に水を引くために、この難工事に挑んだと思います。建設重機のなかった時代に建造したことを思うと、信念から生まれる人の力の偉大さに感動しました。

諫早湾の干拓事業は、漁業を営む方と農業を営む方との間で、水門の開閉で争われているところです。平地の少ない地域で、干拓により大規模農業(1区画6ha)が可能となり、多くの農作物の収穫が可能となりました。しかしそのために、7kmに及ぶ潮受堤防を建設し、水門を設けたため漁業に影響が出たとして裁判になっています。

1952年に時の長崎県知事が食糧難解決のために発案した干拓事業で、長い年数をかけて完成させたものの、時代が移り地元民が相争うことになっていようとは先人の方々は思いもしなかったことでしょう。

現地で驚いたことは、諫早での過去の高潮洪水による人的被害の多さです。1957年には本明川の氾濫で、死者行方不明者760名、1982年には同じく299名と多くの被災者が出ました。家屋田畑の流失も計り知れません。利害が絡むと問題は複雑かつ難題となりますが、解決の基本は、「安全」が最優先されるべきと考えます。

佐賀県と福岡県の県境にある筑後川下流用水事業は、水資源開発水系に指定され整備が進められている事業で40700haへの灌漑用水の供給、300万人の水道用水の確保を行っていました。慢性的な水不足を解消するために河口堰を設け、干満差の大きい有明海の水位を調整し、真水の確保を図っていました。長良川河口堰に比べれば遥かに小さな規模ですが、全国各地で水の確保には多くの予算を費やしていることがわかりました。

諫早湾の7kmに及ぶ潮受堤防

諫早湾の7kmに及ぶ潮受堤防

筑後川下流の河口堰

筑後川下流の河口堰

軍艦島(端島)は、長崎港から17.5キロメートルに浮かぶ、南北に約480m、東西に約160mにおよぶ面積が約6.3haの無人島で、明治から昭和にかけて栄えた海底炭鉱採掘の島で、当時は人口密度世界1であったそうです。

今年、世界文化遺産に登録されたこともあり、修学旅行の学生などで乗船率100%の混雑さでした。波の高い日は上陸できないとのことでしたが、何とか船を桟橋に着けることができ見学できました。今は廃墟の建ち並ぶ島内ですが、大正5年に日本最初の鉄筋コンクリート造りのアパートが建設されたのは、東京ではなくこの軍艦島であったそうです。学校、病院、寺院にパチンコ、映画館など、この小さな島に都市機能がほとんど整っており、無いのは墓地と火葬場くらいであったそうです。しかし昭和49年4月20日に最後の島民が去り無人島になりました。薪から石炭、石炭から石油へと、エネルギーの変換とともに栄え衰退していった小さな島ですが、目の前の廃墟はその歴史を、波しぶきと風に曝しながら私たちに語っているようでした。崩れ落ちたレンガやコンクリートからむき出した錆びた鉄筋、巨大な赤茶けて欠けた歯車などが点在し、窓枠が吹き飛ばされたアパート群は原爆ドームを連想させるものでした。

 

船から見た軍艦島

船から見た軍艦島

廃墟の建ち並ぶ軍艦島内

廃墟の建ち並ぶ軍艦島内

廃墟の建ち並ぶ軍艦島内

廃墟の建ち並ぶ軍艦島内

大宰府へは、味酒安則禰宜様にお会いしてきました。菅原道真公の末裔が阿久比町を治められたと、白沢地区の北原天満宮の古文書に伝承されており、その縁で以前より味酒様とはお付き合いさせていただいております。

来年の「書初め大会」に大宰府天満宮宮司の西高辻氏より「大宰府天満宮宮司賞」が頂けることとなり、そのお礼に伺わせていただきました。国立九州博物館は大宰府に隣接し歴史文化を発信していますが、10年前に天満宮の敷地5万坪を国に寄付して開設されたそうで、多くの人で賑わいを増していました。近年では、中国、韓国、台湾の観光客が多く、境内も外国語が飛び交い国際色豊かになっていました。日本から中国の文化を取り入れるために遣唐使を派遣していた平安時代に活躍した道真公の大宰府に、今では中国からの観光客が訪れているとは不思議な繋がりとしか言いようがありません。

学問の神様「天神様」の威光には頭が下がりました。阿久比町も「教育に熱心な町」を目標に掲げ、菅公の縁者としての誇りを胸に、勉学に励まなくてはならないとお誓いした次第です。

今回の視察でも多くのことを見聞することができました。それぞれの地域にあった施策や事業があり、その時々の方々が英知と努力を重ね、住民の生活を守り尽力されたお話を伺うことができました。どこの地域にも栄枯盛衰があります。時の流れを感じ取り、新陳代謝を繰り返しながら時代に合った町づくりを心がけたいものです。

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