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第74号(平成27年5月)ゴールデンウィーク

[2015年5月14日]

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執務中の町長

阿久比町長 竹内 啓二 

ゴールデンウィーク

皆さんこんにちは。気持ちのよい季節になりました。いかがお過ごしでしょうか?

ゴールデンウィークも終わり、気分も仕事モードへ切り替えです。休み中のトラブル報告もありませんでしたので、平穏な阿久比町だったようです。ただし農家の方は、巷の長期休みを横に見ての田植の準備に忙しかったようです。

期間中は天気に恵まれ行楽に出かけられた方も多くいたのではないでしょうか。私ごとで恐縮ですが、ゴールデンウィーク前に風邪をひいてしまいました。「休みに養生すれば」とお思いでしょうが、養生の仕方は人それぞれです。ただ、体を休めて寝ていれば治るものでもないらしく、私の場合は往々にして寝込むとますます免疫力は下がり、病がひどくなってしまいます。寝込まずに無理をせずに好きなことをして過ごすのが、私にとっては一番の処方箋のようです。そこで今回の連休は、無理をしない程度に、納屋の大掃除と庭の手入れ、歴史探訪とドライブに古美術鑑賞と好きなことをして過ごすことにしました。

 

庭の手入れ

草を取ったり、鉢物を植えかえたりと、移植ごて片手に、土いじりは楽しいものです。日差しは初夏を思わせ、芽吹いた木々の緑が目に優しくてリラックスできます。日本の庭は、西洋の幾何学的な庭と違い、岩や木々、下草などを非対称に配置し、自然の山水に似せて作られます。人為的な自然ですが、なぜか同化しやすく心安らぎます。「あらとうと 青葉若葉の日の光」と芭蕉が奥の細道で日光を訪れたときに詠んだ句があります。芭蕉もすがすがしい今の季節の緑に癒され感動したのでしょう。

水も緩み手水鉢のメダカも俊敏に泳ぐようになりました。菖蒲も水中から顔を出し、刀身の葉を伸ばしています。生きとし生けるものと一つになったと感じたとき、生命の息吹をいただいた気がしました。同時に風邪も快方へ向かっていると感じたのは気のせいでしょうか。「病も気から」と言いますから、逆に「元気も気から」と捉え、気合を入れました。

 

歴史探訪とドライブ

天平衣装をまとった女性たち

天平衣装をまとった女性たち

思えば好きなドライブから遠ざかって久しく、思い切って斑鳩の里へ車を走らせてみました。名港トリトンを過ぎたあたりから交通量が多くなったので、みえ川越で伊勢湾岸道を降りて四日市を抜け、亀山から名阪道へ車を走らせました。渋滞を回避できただけでも、気分は壮快で順調なドライブでした。

斑鳩町の町長さんは、8期も務めていらっしゃる人徳と見識のある方で、お付き合いをさせていただいています。以前、法隆寺を管長さんとともに案内していただいたことがありますが、この時は時間がなく夢殿まではいけませんでした。このことが、心残りであったので、今回めざすのは夢殿と中宮寺の如意輪観音です。

法隆寺夢殿は聖徳太子亡きあと行信という僧侶が、太子の住まい斑鳩宮跡に、太子の冥福を祈って天平11年(739)に建立した、八角堂の美しい建物です。本尊様は救世観音立像です。明治までは絶対秘仏とされていたのですが、今は春秋の数日だけ特別開扉されおり、今回運よく拝むことができました。世の中を救うために一生をささげた太子は、救世観音を信仰していたそうで、本尊は太子と等身であり金箔が施されていました。

中宮寺は山吹の花に囲まれて池に浮くように本堂は建っていますが、この時期、山吹の花は色を失いつつありました。この本堂の中に、如意輪観音半跏像が右手の指を頬に当て、右足を半跏に組んで静かに瞑想しておられました。この像の美しさは何と言っても口元の頬笑みと全身を包む漆黒の鈍い光であろうと思われます。彩色がなされていたものが失われて黒光りとなったものですが僅かに左足の裏に肌色が残っています。彩色がはがれ黒光りになったことが、より一層、頬笑みを際立たせたように思えます。スフィンクス、モナリザと並び「世界の3微笑」と称えられるのもむべなるかなと感じました。

帰りに奈良市の平城京跡へ寄りましたが、多くの人で賑わっていました。当日「天平祭り」をしており、朱雀門から大極殿にかけての広大な広場には天平衣装をまとった男女が200人はいたでしょうか。飛鳥・白鳳・天平の時代にタイムスリップしたかのようでした。阿久比の地名が記された最古のものは、藤原京へ米を送った時の木簡で(694年)、都が平城京へ遷都される710年よりも古いわけですから、もしかしたら当時の阿久比の人々がこの朱雀門をくぐり大広場の末席にいたとしてもおかしくないことになります。歴史探訪の面白さは、当時を偲びながら、今の自分と何らかの繋がりがありはしないかと、心の片隅で期待し探し求めていることかもしれません。

少なくともこの時代に、わが町阿久比は存在していたわけで、都へ米を運んだ私達の御先祖様たちは、何日もかけて阿久比へ帰ると、道中の疲れも忘れて村人に都の町並みや華やかな文化を得意げに話したに違いありません。またその話を聞く村人たちも目を輝かせ、見たことのない都を心の中に描き、夢を見たことでしょう。

走行距離350キロのドライブでしたが、京都とは違った良さが奈良にはありました。煌びやかな京都に対して、歴史も古くいぶし銀のような静かな重厚さをたたえた町であり、歴史の中に今なお生きている古都でした。

P.S.

私には、旅をしたときに石を持ち帰る癖がある。石といってもポケットに入るほどの小さな石である。以前オーストラリア人の芸術家らしき人と衣浦港で知り合った。その時に「オーストラリアの石だ」と言って長石が点在する丸くて黒い石を手渡してくれた。なぜ私だけに渡したのか分からなかったし、他人に石を送ること事態不自然に思ったものだ。しかし考えてみれば、オーストラリア大陸の石が南半球から海を渡り、見ず知らずの私の掌に今あることの不思議さ、これが「縁」というものかと思ったりした。以来道端に落ちている石を拾う癖がついたようだ。

今回も法隆寺から夢殿への道すがら、声を掛けられたような気がして、手のひらサイズの小石を拾い上げた。掌の中で転がしながら夢殿へ向かいながら考えた。夢殿のある斑鳩宮は、聖徳太子の住まいであり、法隆寺への行き帰りにはこの道を太子も歩いたかもしれず、この小石を手にしたかもしれない。そう思うと手放すことができず我が家までお連れした次第。他人から見れば、貴人ならぬ奇人扱いされそうな話である。

 
斑鳩宮で拾った小石

斑鳩宮で拾った小石

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