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第66号(平成26年9月)五木寛之氏を迎えての町民講座

[2014年9月26日]

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執務中の町長

阿久比町長 竹内 啓二 

虫供養

虫供養会場であいさつをする町長

虫供養会場であいさつをする町長

皆さんこんにちは。

彼岸も過ぎ、大変過ごしやすくなり、庭では鈴虫が音色を競っています。愛知県指定無形民俗文化財「知多の虫供養行事」阿久比谷虫供養が、今年は大字宮津で執り行われました。台風を心配しましたが、秋晴れに恵まれ多くの人出で賑わいました。農作業で知らぬ間に傷つけてしまった、螻蛄(オケラ)やミミズなどの命を供養する、平安期から続く虫供養の精神をいつまでも大切にして後世に伝えていきたく思います。宮津地区の皆さんお疲れ様でした。そして引き継ぎを受けた、萩地区の皆さんも来年の開催に向けてよろしくお願いいたします。

五木寛之氏を迎えての町民講座を終えて

町民講座会場であいさつをする町長

町民講座会場であいさつをする町長

9月21日エスぺランス丸山で、作家五木寛之氏を迎えての町民講座を開催いたしました。500人を超す来場者でホールは満席。五木氏の人気は大変なものでした。

私もファンの一人で、学生時代通学電車の中で読みふけったものでした。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞され作家の地位を確立されましたが、ロングヘアーでサングラス、ロシア文学に精通し、とにかく五木氏はカッコ良く憧れの人でした。

「デラシネ」という言葉も、作品を読んで覚えました。デラシネの意味は「根なし草」「故郷喪失者」と広辞苑には出てきますが、二十歳の私には、なぜか心ひかれる言葉でした。人生の生き方が分らぬ、迷える青年時代の私にとっては、「デラシネ」は世間の煩わしさから解き放たれる「自由」と同義語か、それ以上の意味をもった言葉であったと思います。そんな私も今年は還暦。あれから40年が経ち、ふるさと阿久比にしっかり根を張って生きていようとは、人生とは不思議なものです。

講演の前の楽屋裏の話をしますと、玄関にお着きになり、タクシーを降りると軽く会釈をされ、うつむき加減で、副町長に先導されて控室に入られ、私たちと名刺交換をしました。お名刺には縦書きで、「五木寛之」とだけ書かれており、余白の白に浮かび上がる御名前が人柄を表わしているようでした。その後に10分ほど、五木先生とお話をさせていただきました。講演を快諾していただけたことへのお礼や、阿久比町の紹介などのあいさつをさせていただきましたが、それだけでは収まらず、個人的に若かりし頃に読んだ『青春の門』のことや、『カモメのジョナサン』の翻訳のこと、『大河の一滴』、『親鸞』の執筆のことなどを、失礼がない程度にお聞きして、町長としてではなく、一人のファンとしてお話をさせていただけたことに大変喜びを感じました。

お身体には気を遣われているようで、ミルクとコーヒーの2カップを並べ、自らの手で分量をブレンドされてみえました。トレードマークの長髪もロマンスグレーとなり、いぶし銀の雰囲気を漂わせ、眼鏡の奥の目がとても優しく光って見えたのが印象的でした。

講演中の話し方は、声は小さく控えめでしたが、今でも人間の生きる真実の実態を探求なさっているお話であり、今もって情熱が失せていないことに、多くの教えられるものがありました。「最近の建物は湿式から乾式化してしまったが、人間の生き方は湿り気があったほうがいい。心が乾いてしまってはいけない。ため息をつけばいい。悲しければ泣けばいい。元気ばかりが人生ではない。深い悲しみの後に復活があるのだ。しっかりと悲しみを受け止めよ。泣けるようになって、精神の自由さが得られるものだ」と言われました。

五木氏の講演にしては、会場が小さく申し訳なく思っていましたが、講演の中で「東京ドームの時は大変でした。このくらいの会場がアットホームでいいです」と、お気遣いいただき恐縮してしまいました。また、非売品の「親鸞」試読文庫を参加者全員に贈呈していただき、参加者の皆さんも大喜びでした。

講演が終わりお見送りしたときに、握手をしていただきました。その手は細く、まるで修行僧のようで、この指から原稿用紙に言葉や文字が生まれてきているのかと思うと、あらためて感動を覚えました。

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