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第53号(平成25年8月)私と新美南吉

[2013年8月9日]

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執務中の町長

阿久比町長 竹内 啓二 

私と新美南吉

暑い日が続きますが皆さんお元気でしょうか。各地区の盆踊りも始まり、私も参加しています。(阿久比音頭、炭坑節、郡上節がちょっぴり踊れます)

年に一度の、浴衣下駄履きの着流しで、まちに出向くのもいつもと違っていいものです。気軽に住民の方からお声を掛けていただけるのも浴衣姿のおかげでしょうか。

こうして多くの住民が、ふれあいながら和む姿を見ていると、とても嬉しく「ふるさと阿久比」を感じます。盆踊りも浴衣着も日本の暑い夏の風物詩として大切にしたいと思っています。

花火大会

今月の16日には、役場前の駐車場で「ふれあい盆踊りの夕べ」が開催され、10年ぶりの花火大会を行います。「町制60周年」をお祝いするとともに、オアシス大橋や阿久比川堤から見える花火をご観賞ください。

新美南吉生誕100年

今年は童話作家「新美南吉生誕100年」の記念の年でもあります。『ごんぎつね』や『手袋を買いに』など多くの作品を残した南吉ですが、私も不思議なご縁が重なって、南吉ファンの一人になりました。私の住まいは、ごんぎつねの古里「権現山」のある阿久比町植大です。この山には五郷社という神社がまつられていて、子どものころは木々がうっそうと茂る森で、天狗でも出そうな雰囲気でした。(現在は植公園となっています)。この山の巣穴に住んでいた「狐」ということで“ごんぎつね”と名が付いたようです。彼岸花の咲く矢勝川では釣りや水遊びをしていました。時には川を挟んで岩滑地区のガキ大将と小石を投げ合って喧嘩をしました。

幼い頃、母が「かみいさんに行く」と言うと、よくついて行ったものです。子ども心に「かみいさん」にいった次の日はどこかへ出掛けることが多かったので、翌日を期待してついて行きました。記憶は定かではありません。「こけし」さんという「髪結いさん」だったと思いますが、その店は南吉の生家があった建物でした。

母を待っている間、外の常夜灯(南吉の作品にも出てきます)に昇ったり、道向かいの「鍛冶屋」さんをのぞいたりするのが楽しみでした。鍛冶屋さんには見たことのない道具が多く、今思うと炉の中で真っ赤になっている備中鍬や、火をおこすのに使う送風装置「ふいご」の動きが思い出されます。100メートルほど先には八幡神社がありますが、そこまでに行くのにはちょっとした勇気のいる冒険でした。第一の難関は、牛小屋でした。真っ黒な大きな牛がおしりに汚物をつけたまま尻尾で蠅を追っています。息を止めて一気に駆け抜けました。第二の難関は「やなべがんち」(岩滑の子どもたちのことをこう呼んでいました)です。呼び止められたらどうしようかとドキドキしました。子どもにとってはお母さんの声が聞こえる範囲が安心していられる「ゆりかご」なのかもしれません。今思えば懐かしく、のどかな想い出です。

小学5年生と6年生の担任は、大石源三先生でした。先生は南吉研究家の一人で、今年半田市から表彰をうけられた方です。先生からは南吉童話集の本をいただきましたが、読むと悲しくなる題材が多く、当時、好きではありませんでした。

一枚のハガキ

小和田優美子様からの絵ハガキ

小和田優美子様からの絵ハガキ

小和田優美子様からの絵ハガキ

小和田優美子様からの絵ハガキ

次の縁は、青年会議所の理事長をしていた20年前のことです。当時南吉記念館ができ、生誕80年を祝う催しなどがありました。青年会議所では「南吉童話賞」事業で、多くの童話作品を募集していましたが、この事業を地域の町興しへと発展させるべく事業展開をしました。折しも日本青年会議所から地域おこし事業のコンテストがあり、応募したところ「優秀賞」に選ばれました。また、皇太子さまが小和田雅子様とご婚約されましたので、無謀にも『新美南吉童話集』をお届したい旨を小和田家に申し込みました。

紆余曲折ありましたが「皇后陛下が皇太子殿下をお育てになるときに読んでいた南吉の作品ならば」ということで了解を得ることができました。当時外務事務次官であった雅子様のお父さま(小和田恒氏)と外務省でお会いできお渡しすることができました。わずか7分の面接時間でしたが、偶然にも指定された日が私の誕生日であったため一生の思い出となりました。その後、雅子様のお母様小和田優美子様から自筆のお礼のはがきが届き、大変恐縮いたしました。モンゴルの絵ハガキで、「お休み前に、幼い雅子様らに南吉の童話を読み聞かせた」とありました。雅子様は「ごんぎつね」が大好きだったそうです。

私どもの届けた南吉の童話が雅子妃殿下によって、愛子様にもお読みいただけているものと信じています。

このように私が今まで歩んできた人生の中で、南吉とは不思議な縁でつながっていました。生誕100年の機会に、時代を超えて愛されている南吉を忍びながら、子どものころを振り返ってみました。今年、植地区では「権現山」整備事業を住民の方のご努力によって進められています。草を刈ったり植栽したりして散策道を造り、ごんぎつねの石像も作られました。地元では「権現さん」と呼び、「山」の意味でなく敬称の意味を込めた「さん」付けで呼んでいます。近頃阿久比町で「狐」が目撃されたとの報告もされ、「ゴンが帰ってきた」と地元民は喜んでいます。

自然との共生を目指す本町の理念は、南吉の伝えたかった心の世界と相通じるものがあります。「共に生きる」ことは相手を思いやることから始まるのでしょう。相手の痛みも喜びも自分のものとしても感じられる優しい心。私は大人になり南吉の童話を読み返したときに、南吉童話の奥深さに気づき、今では大切な書籍の一つとなりました。恩師の大石先生は、南吉文学の心を教えたくて私に手渡されたのでしょうが、理解するまでに50年が経ってしまいました。この間の人生経験が南吉文学の行間を読むことができる大人に成長させてくれたものだと思います。

先生ありがとうございました。南吉の心を大切に町政に励んで参ります。

 

蝉の声が強い日差しの中でひときわ大きく聞こえます。

今は亡き父母の顔が浮かんできました。「もうすぐお盆。お迎えに行くからね」。

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