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2010.12.15


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あぐいぶらり旅
〜建造物を見る(光西寺鐘楼)〜

シリーズ 阿久比を歩く 138




光西寺“鐘楼”


立体感のある“斗(ときょう)”

2010年最後のぶらり旅。“相棒”友人と宮津地区の光西寺へ「鐘楼(しょうろう)」を見に出掛けた。

鐘楼とは、時を知らせるかねがつるされる建造物で「鐘つき堂」とも呼ぶ。光西寺は浄土真宗(真宗大谷派)に属し、鐘は法要など仏事が開かれることを知らせるときに突かれる。

寺は永禄4(1561)年に、秋葉公園の入り口付近から現在の場所に移ったとされ、鐘楼は大正11年に地元の大工により再建された。木造瓦葺入母屋造で、重厚感のある屋根を支える部分に特徴が見られる。

遠くから見ても目に留まる、軒下の木組み。斗(ときょう)と呼ばれ、大陸から伝わった建築様式。方形の斗(ます)と張り出す肘木(ひじき)を組み合わせ、柱上で軒を支える仕組み。くぎを使わないのも特徴で、湿気の変化で木が膨らんだり縮んだりするのを吸収して建物がゆがむのを防ぎ、地震や台風の揺れを吸収する効果もあるらしい。四方の隅とその間、計八カ所の斗。立体感のある芸術的な木組みは、一見の価値がある。

現役を退いた85歳の前住職に話が聞けた。

「鐘楼は私が生まれる前に、宮津の腕のいい大工が手掛け、彫刻は初代彫常です。若いころ、大工に会うたびに『もうけそこなったんだぞ』と冗談を言われました。地元の寺のためにと通常よりも低い建築費で請け負ってくれたんですよ」

第二次世界大戦時に出された「金属類回収令」で日本中の多くの寺院の鐘が没収され、武器製造のために溶解されてしまう。光西寺の鐘も例外にもれず回収されてしまった。「鐘楼に鐘を戻せないだろうか」。寺を守ってきた地元の人々から話が持ち上がり、終戦から五年後の昭和25年、新しい鐘が鐘楼に戻る。

「鐘の中には、指輪や金が一緒に混ざっています。鋳造の際に平和や先祖を敬う気持ちを込めて、寺を支えてきてくれた人たちが貴重な宝物を投げ入れてくれました。皆さんの願いが詰まった鐘です」。老住職が手を合わせる。

許しを得て、鐘楼の土台に上がらせてもらい、鐘の下に立つ。声がこもり、エコーがかかっているようだ。「一言どう?」と友人に投げ掛ける。「そうですね。それでは僕の好きな言葉を。『皆さんに感謝』」。「感謝、感謝、感謝……」。友人が素晴らしい言葉で一年を締めくくってくれた。