椋岡地区の古寺「鳳凰山平泉寺」を友人と訪れ、『阿久比の建造物と彫刻(町文化財調査報告第3集)』で紹介される山門の「破風」と「蟇股」を見た。
淳和天皇が尾張国知多郡に鳳凰が舞い降りた夢を見て、それを見てくるように言われた慈覚大師円仁が、椋岡地区に立ち寄る。大師は、古井戸(唐松の井戸)を祈とうして、水をわかせ、水不足に苦しむ農民を救った逸話を残し、天長7(830)年平泉寺を開創し、天皇の夢にちなみ山号を「鳳凰山」と名付けたと伝えられる。
水の入った唐松の井戸をのぞき、平泉寺に続く細い参道を歩くと山門に着く。扉の開いた、入り口の開口部は高さと横幅が約2m。奥行きは約1.5m。4本の柱で重厚感のある瓦がのった切妻屋根を支える。
「山門は記録が残っていません。ただ、10年前に少し屋根を直したとき、鬼瓦の近くに『寛政二年』(1790年)の文字が記されていることが分かりました。おそらく、その年号の記載は、修理の際に記されたものだと思いますので、それ以前から建っていた門でしょうね」と、寺の住職は話す。
屋根の一番高い部分が「棟」。棟をさかいとして、本を半分に開いて伏せた形のように両方に流れを持つ屋根が「切妻屋根」。その切妻屋根部分にある板が「破風」で、三角になっている部分全体を破風ということもあるようだ。
板の形には、直線のものを「直破風」、下向きに反る「照破風」、上向きに反る「起破風」、照りと起りが連続した「唐破風」などがあると、調査報告で解説される。平泉寺山門の破風は「照破風」で、板は左右対称に下向きに曲線を描く。
破風の奥に「蟇股」が取り付けられる。近くで見ると横幅に厚みがある。カエルがまたを広げたような形から名付けられた建築様式。屋根の重み支える横柱の「梁」の上に置き、支えと飾りを兼ねた受け木で、平安時代後期以降は主に装飾品として社寺建築などで使われる。
境内を散策する。「蟇股はユニークな名前ですね。重い屋根を支えるのにカエルとは、ピンときませんが、カエルの足腰は強いんでしょうかね」と友人。「蟇股の『蟇』は“ひきがえる”と読むらしいよ」。「それでですね。ヒキガエルの足腰は強そうですからね。納得です」。「…?」。来た道を引きかえることにした。