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2010.12.01


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あぐいぶらり旅
〜建造物を見る(平泉寺山門)〜

シリーズ 阿久比を歩く 137




下向きに曲線を描く“破風板”


破風の奥に取り付けられた蟇股かえるまた

椋岡地区の古寺「鳳凰山ほうおうざん平泉寺へいせんじ」を友人と訪れ、『阿久比の建造物と彫刻(町文化財調査報告第3集)』で紹介される山門の「破風はふ」と「蟇股かえるまた」を見た。

淳和じゅんな天皇が尾張国知多郡に鳳凰が舞い降りた夢を見て、それを見てくるように言われた慈覚大師じかくだいし円仁えんにんが、椋岡地区に立ち寄る。大師は、古井戸(唐松の井戸)を祈とうして、水をわかせ、水不足に苦しむ農民を救った逸話を残し、天長7(830)年平泉寺を開創し、天皇の夢にちなみ山号を「鳳凰山」と名付けたと伝えられる。

水の入った唐松の井戸をのぞき、平泉寺に続く細い参道を歩くと山門に着く。扉の開いた、入り口の開口部は高さと横幅が約2m。奥行きは約1.5m。4本の柱で重厚感のある瓦がのった切妻屋根を支える。

「山門は記録が残っていません。ただ、10年前に少し屋根を直したとき、鬼瓦の近くに『寛政二年』(1790年)の文字が記されていることが分かりました。おそらく、その年号の記載は、修理の際に記されたものだと思いますので、それ以前から建っていた門でしょうね」と、寺の住職は話す。

屋根の一番高い部分が「棟」。棟をさかいとして、本を半分に開いて伏せた形のように両方に流れを持つ屋根が「切妻屋根」。その切妻屋根部分にある板が「破風」で、三角になっている部分全体を破風ということもあるようだ。

板の形には、直線のものを「すぐ破風はふ」、下向きに反る「てり破風はふ」、上向きに反る「むくり破風はふ」、照りと起りが連続した「から破風はふ」などがあると、調査報告で解説される。平泉寺山門の破風は「照破風」で、板は左右対称に下向きに曲線を描く。

破風の奥に「蟇股かえるまた」が取り付けられる。近くで見ると横幅に厚みがある。カエルがまたを広げたような形から名付けられた建築様式。屋根の重み支える横柱の「はり」の上に置き、支えと飾りを兼ねた受け木で、平安時代後期以降は主に装飾品として社寺建築などで使われる。

境内を散策する。「蟇股かえるまたはユニークな名前ですね。重い屋根を支えるのにカエルとは、ピンときませんが、カエルの足腰は強いんでしょうかね」と友人。「蟇股の『蟇』は“ひきがえる”と読むらしいよ」。「それでですね。ヒキガエルの足腰は強そうですからね。納得です」。「…?」。来た道を引きかえることにした。