2010.11.15
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草木地区にある
石畳の参道を登りきった場所に建つ、木造瓦葺切妻造の「仁王門」。寺院の建物を守る神、金剛力士“仁王”一対が左右に安置される門を「仁王門」と呼ぶ。
「太い柱は、柱組みが頑丈で解体できなくて、草木地区の力自慢が肩に担いで、今の場所に運んできたと、先代の住職から聞いております」と正盛院住職が笑顔で話してくれた。
仁王門は、宝暦2(1752)年、正盛院の末寺「竜光寺(草木小学校西付近にあった)」に建立された記録が残る。明治14年竜光寺が廃寺となり、翌年、村自慢の「仁王門と仁王像」を手放したくない思いから、草木の村人総出で解体することなく、正盛院の現在の場所に移す。
横の長さが三間(5.46m)。左右に2本ずつ太い柱が立ち、その奥は仁王像が安置される部屋が設けられ、真ん中は境内入り口となる空間。部屋の中では、目を見開き、大きく口を開けた仁王と、固く口を結んだ仁王の2体の像が阿吽(あうん)の呼吸で門番を務める。
正盛院仁王門は、阿久比町が昭和55年、文化財「第1号」に指定した貴重な歴史的遺産。その両脇に納まる2体の仁王像(室町時代初期の作と推定。竜光寺建立時に京都から下る)も町指定文化財。
年輪を重ねた木造の門を森の「木」と勘違いしたのか、セミたちの抜け殻が柱や軒先に張り付く。大正9年に地元大工により補修された「門」も、年月が経過して所々傷みが目立つようになってきている。
力自慢の人たちが、解体せずに運んできたという「仁王門」。どっしりと腰を下ろす姿には風格があり、
「君、“きゃしゃな”体だけど、柱を担ぐのを手伝ってほしいと言われたらどうする?」と私が友人に聞く。「もちろん手伝いますよ。最近、我が子をおんぶして、体鍛えてますから」。子どもが生まれる前までは、「
参道を下る。木々の葉っぱが色づき始めた。少し早い、紅葉狩りを楽しむ。仁王門の屋根にはイチョウの葉が積もり始めていた。
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