広報 あぐい
2010.9.15
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あぐいぶらり旅 
〜建造物を見る(若い衆蔵)〜

シリーズ 阿久比を歩く 132

 



“若い衆蔵”の格子窓



カニも迷い込んだ
御影石が積まれた基礎


昔ながらの黒壁が残り、かつては商店などが立ち並んでいたという宮津地区の“メインストリート”を友人と2人で歩く。

昭和2年建築で、木造瓦葺2階建てての「旧阿久比郵便局舎」に立ち寄る。もともと個人所有の建物で、表札が掲げられているが、現在は空き家のようだ。

博物館や観光地の古い町並みで見られるようなレトロな感じのする建物。友人が「大正ロマンを感じますね」とポツリ。実際は昭和の建築なので、時代が少し違うが、確かにそんな雰囲気だ。

メインストリートを北へ進む。自動車がすれ違うには少し狭い細道。春には、宮津地区自慢の2台の山車がこの道を通り抜ける。宮津青年会場が見えてきた。地元、年配の方には「わかしゅうぐら」と呼ばれる。

江戸時代の天保年間(1830〜1843)の建築であると記録が残る。宮津地区の20歳前後の若者が神楽囃子かぐらばやしなどを練習してきた場所。戦前までは、ほかの町や村から見物にくるほど、盛大に神楽囃子の稽古けいこが行われていたようだ。今もその伝統は引き継がれ、祭礼の前に、囃子などの稽古が行われる。

入口に「神楽社」と書かれた額が掲げられる。切妻屋根で、屋根瓦の最上部に「若」の文字の瓦がのる。壁は板張りと漆喰しっくい。上部の漆喰壁部分には格子窓。どっしりとした「蔵」のような構造は、天保年間から変わることなく今に残る。

近くの民家を訪ねた。突然の訪問であったが、優しそうな夫婦が、面白いエピソードを聞かせてくれた。

「この石なんですか?」と尋ねる。大きなだ円の石に三十貫と記され、半分ほどコンクリートで固められる。「祭礼のとき若い衆は大太鼓を担ぐ仕事があったから、担げるか試すための石で『力石ちからいし』と呼んでいたけど、石のことを知る人も少なくなったなあ」とご主人。

「この穴『ガナ』って言うんだけど、水路を伝わってきた小さなカニがガナに隠れていてね、こうやって棒で突っつくと、怒って泡を吹いて出て来るんだよ」。御影石でできた「基礎」のすき間部分を、木の枝で指しながら、少年時代の話に夢中になるご主人の横で、奥さんがほほ笑む。

帰り際に「僕もまだ、フットワークも軽いし、若い衆でいけますかね」と友人。「昨日も昼食食べながら、肉よりも魚が好きになってきたと言っていたから、ちょっと難しいかもね」。



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