宮津地区熱田社は、盆踊りの準備で人の動きがせわしい。暑さ厳しく、セミの鳴き声も騒がしい。そんなにぎやかな状況を、常舞台正面上部に取り付けられた一対の「力神」が見守る。
木造瓦葺入母屋造の常舞台は、弘化4(1847)年熱田社境内に造営され、原型を残す。昭和30年ごろまで村芝居が盛んに行われ、多くの人々が観劇をした場所。力神も弘化4年に作られ「寄木彫」であると記録に残るが、製作者は不明。
2体の「力神」彫刻が建具に腰を下ろす。眼光鋭く、筋肉隆々。前かがみになり、常舞台の梁を片腕で、下から力強く持ち上げるような姿は勇ましい。
「僕は『キン肉マン』のマンガが大好きなんですけど、力神はどことなく似ているところがありますよね。好きになりそうです」と、友人が物を持ち上げるようなポーズを取り“力神”の真似をする。見るからに貧弱だ。「そのポーズキン肉マンと力神に失礼だよ」と私が返す。
力神彫刻は、知多地方の山車や神社の山門や本殿に施される。寺の山門で、仁王像や金剛力士像が門番をするように、「力神」は“神”が関わる場所の見張り役のようだ。
境内で作業をする長老たちに力神について尋ねる。
「常舞台と力神の組み合わせは今までに見たことがない。なんであの場所にあるかは知らんなあ。顔が取り外せると思ったで、中に何か書いてあるかも知れん。1回見てみるか」
男性が準備の手を休めてくれ、フォークリフトの荷台に乗り、顔の取り外しを試みてくれた。しかし簡単には取れない。貴重な彫刻を傷つけてはいけないので、確認はあきらめることにした。
「我々、長く宮津に住む者も知らんことばかりだよ。何か古い記録が出てきたら、また教えてあげるわ」と長老らが笑う。
製作者は誰なのか。常舞台と力神の関係。多くの謎が残る。〈本当のことは“力神”のみぞ知る〉。
「そう言えば、力神のぷくっとしたところ、生後2カ月の息子にも似てます」。「将来はキン肉マンにさせたらどう」。「……」。 |