「あの家の瓦、いいですよ。外壁もなかなかです」。
町内で残る古い建造物を巡ることにした。念願の一軒家を手に入れた友人の視点が、最近“建物”に興味を引かれていたのがきっかけとなった。
神をまつるために楽器や舞を奉納する場所が神楽殿。その神楽殿のことを“常舞台”と呼ぶ。以前から地区の神社に行くと、目にしていた「常舞台」。気になっていた常舞台を訪ねることにした。
阿久比町誌によれば、町内13の神社に現存する。「はじめは、神への奉仕の場として設けられていた神楽殿は、次第に豊作の喜びを表現する常舞台へと変化し、老若男女が神と一緒になって祝い、喜びを分かちあうようになった」と解説される。
「回り舞台」のある、大古根八幡神社の常舞台を見に出掛けた。
「お城のような屋根ですね。入母屋造りですよ」と友人が言う。「さすが目の付けどころが違うね。そんな専門用語よく知ってるねえ」。「家を建てる前に勉強しましたから」。
どっしりと構えた建物は、昭和2年の建造。木造瓦葺で屋根の形は入母屋造り。正面の大きな扉と外壁の板張りは、くぎで補修された部分と虫に食べられた穴が目立ち、建物の古さを物語る。
知多半島では珍しい「回り舞台」を備える。歌舞伎の世界では、床を大きく円形に切り抜き、円板を回転させて劇の場面を換える舞台装置として使われる。
大空襲で消失した名古屋大須の芸場の舞台をまねて造られた。昭和37年まで祭礼の余興で、大阪や名古屋などから芝居役者を呼び、村芝居が行われていた記録が残る。現在では、春の祭礼のときに正面の扉が開かれ、舞台では囃子の奉納が行われる。
大古根地区の方に頼み、中を見せてもらった。床の上に立つとミシミシ音がする。見ることはできなかったが、舞台下は120cmの深さがある。床下で梶棒をかついで舞台を回すのが本来の仕組みのようだ。
「足の力で青年団の人が舞台を回しているのを見たよ。『四谷怪談』がよかったなあ」。「子どものころ、役者の風呂たきをするのが、私たちの仕事だったよ」。年配の男性たちが思い出を語ってくれた。
「回り舞台の床下のことを、『奈落』と言うらしいけど君知ってた?床下は暗くて、『奈落の底』にたとえたらしいよ」と私が友人に問い掛ける。「意外に物知りですね」。「少し予習してきたからね」と自慢げに答え、八幡神社を後にした。 |