広報 あぐい
2010.6.15
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あぐいぶらり旅 
〜石造物を巡る(植・大古根コース 7)〜

シリーズ 阿久比を歩く 126

 



猪俣氏の功績が書かれた
『猪俣六三氏略伝誌』



柔和な顔をする“弘法さん”


植大東山ノ手の町消防団第5分団の詰所前に「巡拝塔弘法像」が立つ。高く積まれた石の上に、3段の石が積まれ、その上の蓮台に足を組む柔和な顔をした“弘法さん”が座る。

3代に渡り、弘法像に花やおぼくさん(仏に供えるご飯)を供え、世話しているという女性に出会えた。弘法像は猪俣録造安春氏が明治39年に建立。この人物について尋ねた。

「“こうぼうじじい”がお祈りすると、病気が治ったり、のどに刺さった魚の骨が取れたりと、不思議な力を持った人だったらしいですよ」

地区の「憩の家」(通称“弘法堂”)に案内され、「詳しいことは、ここに書かれています」と、女性が『猪俣六三氏略伝誌』(弘法像には録造と記されているが六三と表記)と表紙に記された古い帳面を見せてくれた。そこには地元の人がまとめた、猪俣氏の生い立ちや功績が、手書きの文字で綴られていた。

ー 猪俣氏は安政5(1858)年福島県に生まれる。病気を治すために四国八十八カ所巡拝を始める。その後、知多四国も巡るようになり、あるとき「植村」に有名な漢方医がいると聞き植村を訪れる。病気療養のため植村で生活。村人らも彼を親切に受け入れ、住む場所などを提供した。

彼は知多四国の巡礼を続け、あるとき修行者から“大師の尊像”と“鉄の棒”をもらい、加持祈祷の秘法を伝授される。鉄の棒を病んでいる部分にかざすと治ったり、失っていたものを探し出したりするなど、不思議な力で人々を救ったとされる。

不思議な力の話は広く伝わり、多くの者が猪俣氏を訪ね、謝礼を置いていくようになる。謝礼は村人に世話になった理由から、寺や神社、学校などに寄付された ー

巡拝塔弘法像も猪俣氏の寄付によるもの。猪俣氏が亡くなってから74年たつが、「親が世話になったから」と、弘法堂の仏壇や弘法像に毎月手を合わせに訪れる人がいるという。

「“こうぼうじじい”の逸話は義母からよく聞きました。私の実家も弘法宿をやっていましたので、弘法さんとは縁が切れません。『お蔭様』の気持ちを忘れずに暮らしています」。先人が大切にしてきたものを守り続ける女性の優しさが伝わってきた。

「石造物を巡る」の連載は今回で終了します。次回からは「建造物を見る」を連載します。



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