広報 あぐい
2010.4.15
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あぐいぶらり旅 
〜石造物を巡る(植・大古根コース 3)〜

シリーズ 阿久比を歩く 122

 



桜の木に囲まれる石碑



端山忠左衛門氏彰徳碑


桜の花が見ごろを迎えた。友人と花見も兼ねながら、植地区の神明社へ、石造物を求めて「ぶらり旅」に出掛けた。

“神明社の森”東の裏側に立つ「端山忠左衛門氏彰徳碑」を訪れる。小高い丘の上に立ち、ひときわ目立つ大きな石碑が「端山忠左衛門氏彰徳碑」。高さが約4m、幅が約1.5mで、とても重厚感がある。

ー端山忠左衛門氏は、弘化二(1845)年、碧海郡大浜村(現在の碧南市大浜町)に生まれ、幼名は寅次郎。5歳のとき植の端山家の養子として迎えられ、21歳のとき“忠左衛門”を襲名。

染色の研究や紡績会社、林業などを経営し、知多郡全域の産業や文化に貢献。明治12(1879)年、初の愛知県会議員選挙で当選、その後通算30年余県会議員を務める。

明治23(1890)年、第1回衆議院選挙で当選(一期務める)。伊藤博文と親交を結び、改進党(大隈派)と自由党(板垣派)と対抗する大成会を結成する。

大正4(1915)年享年71歳で生涯を閉じるー

政界や犬山城修復などの業績をたたえるため石碑が建立されたようだ。明治24(1891)年濃尾大地震で「犬山城」(当時愛知県公園)が破損。多くの者は廃棄を唱えたが、端山氏の力説奮闘で城の修復が図られた。

石碑の表面には、端山氏の功績が記され、裏面には建立に関わった人々の名前が記される。犬山藩主の末裔、成瀬家当主の名前のほか、「徳川」「中埜」など著名な苗字が連ねられ、生前の交友関係の深さをうかがい知ることができる。

石碑近くの桜の花が満開。鎮守の森からウグイスの鳴き声がする。小さく「ホー、ホケキョ」。優しく「ホー、ホケキョ。キョキョキョキョキョキョッ」。力強く「ホーーー、ホケキョ」。ウグイスたちの奏でる音色は心地いい。花見をしながら鳥の声を聞く。なかなか優雅だ。

「あと、お酒があったら最高ですよね。“ぱー”といきたいですよね」と友人が言う。「もうすぐ、子どもが生まれるんだから、そんなこと言えるのも今年限りかもよ」と私が脅かす。「どうしてですか?」。「宴会途中に子どものことで携帯電話が鳴り、酔いがさめることばかりだと思うよ」。「……」。

「ホー、ホケキョ」。誘惑のウグイスの鳴き声が、私たちの後ろから響いた。



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