広報 あぐい
2010.3.15
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あぐいぶらり旅 
〜石造物を巡る(植・大古根コース 1)〜

シリーズ 阿久比を歩く 120

 



八幡神社の手前に立つ“大鳥居”



かつて“島田樋門”があった付近


今回からは、植・大古根コースを巡る。雨上がりで風が強く、朝セットした髪型が乱れる。花粉の飛ぶ勢いもよく、目の周りが異常にかゆく、春の訪れを体感する。

植大地区の八幡神社へ行き、「八幡神社鳥居」を見る。

県道西側に大きな鳥居が立つ。下から眺めると、鳥居の内側の構図に、石段から神社境内入り口に立つ鳥居までが納まる。石段脇に咲く黄色いスイセンの花が色を添える。

“大鳥居”横の自転車修理店の店主に声を掛けてみる。「大きな鳥居ができて、びっくりした記憶があります」。親の代から続く店は、昭和12年に現在の場所に移転。鳥居が建てられたのはその1年後の昭和13年で、店主は小学2年生だったという。

「この鳥居は、今アピタがあるけど、あの場所に都築紡績をつくった“良平”さんのお父さんとお兄さんが寄付したものだよ。昭和19年と20年にかなり大きい地震が起きたけど、当時はびくともしなかったね」と、長い間“鳥居”を見続ける店主が教えてくれた。

店主と別れて友人が「学生のときあの自転車屋さんで、おじさんにパンクを修理してもらいましたよ」と言う。「早く言えばいいのに。どんな学生だったか聞いてみたかったよ」。「おじさんは覚えてないと思いますが、おっちょこちょいでした」。「そうだっただろうね」。

次に「島田樋門しまだひもん」を探す。名鉄電車の線路を渡る。

矢勝川堤防を整備しながらヒガンバナの球根を植える男性に尋ねた。

「除塵機がある辺にあったはずだよ。いる(水門)があって、新美南吉も少年時代に飛び込みをしたり、うなぎを取ったりして遊んだ場所だと聞くよ」と指を差す。

矢勝川は天井川で、低地は水はけが悪く、十ヶ川の排水に悩まされてきた。改善のため明治33年矢勝川をくぐる全長60mの人造石樋管せきひかん(十ヶ川の水を矢勝川の下から通す管)ができる。入り口の水門が「島田樋門」で、2つの丸い管を「眼鏡」に見立てて「めがね」と呼んでいたようだ。昭和49年と51年に起きた水害後は矢勝川の改修に伴い、島田樋門は姿を消す。

男性の話を聞きながら、自然は楽しさと恐ろしさの二面を常に持ち合わせていることを実感する。

「西側のように、こちらの堤防にもヒガンバナが一面に咲くといいですね」と男性に声を掛け、矢勝川と十ヶ川を後にした。



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