広報 あぐい
2010.01.01
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あぐいぶらり旅 
〜石造物を巡る(阿久比・椋岡・矢口・高岡コース 1)〜

シリーズ 阿久比を歩く 115

 



阿久比神社入口に立つ“社標”



お堂の中にまつられる“六十六部供養塔”

新しいコースで石造物巡りの「ぶらり旅」を続ける。

阿久比神社の「阿久比神社社標」を見る。鳥居の手前に「郷社 延喜式内 阿久比神社」と大きな文字が記された、見上げるほど高い社標が立つ。

平安時代初期の宮中の記録が書かれている『延喜式』。その第九と第十の「神名帳」に記載されている神社を「式内社」と呼ぶ。

式内社は由緒正しく、格式が高い神社だといわれる。阿久比神社は神名帳に「知多三座」の一つとして記され、はじめにあげられていることから、尾張知多郡の「一宮」と呼ばれていたようだ。

「♪一番はじめは一宮いちのみや♪と歌われるくらいだから、一宮と呼ばれることは、すごいことなんでしょうね」と友人がわらべ歌を歌いながら言う。「確かにそうだねえ。2番はどこだったかなあ」と私が聞く。「……」。

静かな神社境内だが、大晦日から元旦に日付が変わるころ、多くの人々でにぎわいをみせるだろう。

阿久比神社を後にして、細道を南へ進む。次に「六十六部供養塔」を探す。『町文化財調査報告』では、「六十六カ所の霊場を巡礼して納経する信仰があり、修行者を六部ろくぶともいう」と解説がされる。

道路脇の一画に1基の常夜燈とお堂を見つける。お堂の中をのぞく。中央に文字が刻まれた高さ50cmほどの石がまつられる。

お堂近くの民家を尋ねる。男性が「六部さんのことだね」と話を聞かせてくれた。

修行途中の六部が行き倒れてしまう。疫病がはやり、村人がこの地で亡くなった六部の「供養塔」をまつり、願を掛けると不思議に疫病が終息したという。

「今で言うとインフルエンザだろうね。医学に勝る先人たちの思いがかなったということかなあ。春祭りには必ず“六部さん”の前で子どもたちが囃子の奉納もするし、阿久比地区では大切なものだよ。公会堂の近くには“行者さん”もいるし、帰りに見ていくといいよ」。

「地域で大切に守っていく。難しいことですけど、素晴らしいことですよねえ」。行者堂に手を合わせた後、目に映った、それぞれの民家から温もりが伝わってきた。



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