広報 あぐい
2009.06.01
バックナンバーHOMEPDF版 ダウンロードページへ

あぐいぶらり旅 
〜石造物を巡る(板山・福住・白沢コース 2)〜

シリーズ 阿久比を歩く 101

 



熊野神社入り口に立つ“社標”



福山川に架かる“石橋”


友人と2人で板山地区の熊野神社を訪れた。文化財調査報告ではこの神社からは3つの石造物が紹介されている。順番に見ていくことにする。

道路と境内の間を流れる福山川に架かるのが「熊野神社石橋」である。調査報告では「町内の神社仏閣で、石橋のあるのは当社と西隣の安楽寺だけである」と解説される。

『阿久比町誌資料編四』によれば板山郷土史の中に、「石橋架設 于時明治三十六年四月」と記録が残されている。現在の石橋は河川改修に伴い川幅が広がり、昭和54年3月に完成したものだ。

幅約2.7m、全長約7.5m、下部にコンクリート、上部に石が敷かれた二重構造。改修前から石橋として使われていた御影石が敷き詰められている。

「『この橋、渡るべからず』と立て札があったら、君はどうやって神社へ行きますか?」と友人に問い掛ける。しばらく考えた後友人は、東へ少し歩いた場所に架かる、コンクリートの橋を渡り始める。大きな声で「この橋を渡り、川沿いの細道を歩けば神社に着けますよ。どうですか」と友人は私に手を振る。「そうだね……」。確かに間違いではない。私は、(はし)(はし)を掛けて、橋の端の部分を通らず、真ん中を渡るだろうと期待していたが、さすが友人。裏切らず笑わせてくれる。

私は石橋の真ん中を渡り、友人の待つ「熊野神社社標」の前に進む。高さ約3m、正面に「村社熊野神社」、正面左には「熱田神宮宮司正五位角田忠行書 明治四十一年四月建之」と記される。角田忠行氏は幕末の勤王の志士の一人で、島崎藤村の小説『夜明け前』の登場人物、暮田正香のモデルであるといわれる。

角田氏を明治34年に熊野神社に招いた記録が残る。社標の文字を書いたのはそのゆえんだろうか。

最後に「酒造神の碑」を見た。酒造神の松尾皇太神がまつられる。境内北の小高い場所にひっそりと立つ。うっそうと木が生い茂る森の中だが、木漏れ日が石碑を照らす。

農閑期に“杜氏(とうじ)”として酒造りに出掛けていた時代、この碑に健康などを願い、各地へ出掛けていったようだ。「健康といえば、酒の神様なので“痛風”にならないようにと願ったらどうですか」と友人に言われたので、私は素直に手を合わせた。



<<前ページへ ▲目次ページへ 次のページへ>>