広報 あぐい
2007.01.15
バックナンバーHOMEPDF版 ダウンロードページへ

あぐいぶらり旅 〜伝説の地を歩く(英比麿 伝説)〜

シリーズ 阿久比を歩く 44

 



洞雲院所蔵英比麿の縁起巻物



洞雲院所蔵の“回り地頭”


「さて、この荘の開祖と仰がれた英比麿は、天寿を全うして、永い眠りにつきました。里の人々は、慈父を失ったように長い間悲しみにくれておりましたが、英比麿夫婦の木像を造って、最近まで、各家へ1日ずつお迎えし、立臼の上に新しいこもを敷いてその上に安置し、親族縁者を招いてお参りをいたしました。これは、英比麿はいつまでも生きておられて領内を巡視してくださるのだという思いで、その徳をたたえてきたもので、この地では『回り地頭(じとう)』とか『回り地蔵』と呼んでいます。英比麿の墓と回り地頭の木像は、坂部の洞雲院に祀られております。(阿久比の昔話)『英比麿物語』から」。

洞雲院を訪れた。回り地頭を見せていただけないかと住職に依頼する。快諾してもらえ、本堂の奥へ案内してもらう。回り地頭は立派な厨子の中に夫婦で安置されている。

住職は「回り地頭信仰は江戸時代には、半田の乙川や亀崎地区などを含めた英比十六カ村で行われていました。明治時代になると、この寺にまつられ、母屋を新築した家主が寺から借りていき、1週間ぐらい客間にまつって家の繁栄を祈りました。英比麿の祖父菅原道真公の天神伝説にちなみ、雷よけの信仰としてもまつられていましたよ」と話してくれた。

「寺に伝わる英比麿伝説がありますか」と住職に尋ねると、「『尾張志』の記述にもありますが、英比麿が5歳のとき、都から来た勅使を出迎え、腰をかがめて会釈をしたら勅使が口ずさみに『をさな心にかがみこそすれ』と言い掛けられ、英比麿はとりあえず『英比(えび)の子は生まるるよりも親に似て』と付け加えたそうです。海老の子が生まれたときから腰が曲がっているように、腰をかがめて会釈することは、生まれたときから親にしつけられた当然のことだということを意味しています。“英比”と“海老”の言葉が掛けてあるんですよ」と教えてくれた。

「今年も良い年になりますように」と本堂に手を合わせる。境内を出てから私が「聖徳太子は幼いころからすごい人物だったらしいが、英比麿もすごいねぇ。僕なんか5歳のときは仮面ライダーに夢中だったかなあ」と友人に話し掛ける。友人は「僕は太陽戦隊サンバルカンに夢中でした」と変身ポーズを私に自慢げに見せてくれた。



<<前ページへ ▲目次ページへ 次のページへ>>