広報 あぐい
2006.07.01
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あぐいぶらり旅 〜村絵図を歩く(板山村)〜

シリーズ 阿久比を歩く 31

 


板山村絵図
(阿久比町誌資料編1村絵図解説書から)


“山上”から向山に移された役行者像


手前が酒造神の石碑。後は山神の石碑

今回は板山村絵図を見ながらぶらり旅に出掛けた。

絵図の中央には東西に通ずる道が記されている。東の端、有脇村境から西の端、福住村境までを歩くことにした。

向山の付近で行者の石像を見つけた。簡易なコンクリートで囲まれた堂の中に納められている。石像右には「宝暦4年甲戌7月15日」と刻まれている。

鈴なりに実った梅を収穫していた夫婦がいたので、行者像について尋ねてみる。私たちの持っている絵図を見ながら“山上”部分を指差して「田んぼを整備したときに、ここから今の場所に移されたんだよ。役行者(えんのぎょうじゃ)としてまつられ、昭和の初めころまで村の青年は奈良の吉野へ山岳修行に行ったらしいよ」と教えてくれた。

額に汗して作業する夫婦と別れて先へ進む。氏神に向かった。氏神は現在の熊野神社。福山川にかかる石橋を渡り境内に入る。

熊野神社の由来が書かれた看板に「社標は、熱田神宮宮司の角田忠行の書である。角田忠行は幕末の勤王の志士の1人で、島崎藤村の小説『夜明け前』に暮田正香の名で登場する人物である」と興味深い記述があった。入口に大きな石碑が建っていたことを思い出し引き返して、書を眺める。「これが角田忠行の書か。立派な字ですねえ」と友人が隣でうなずいている。「その人、有名な人なの」と私が聞くと「全然知りません」。「えぇ…」。2人で顔を見合わせてニヤリと笑う。

本殿東の小高い丘には、酒造神の松尾皇太神の石碑があった。この日は神社で“農業祭”が営まれ、地区の人が集まっていた。社守の男性が「昭和40年ごろまで農閑期の冬に、多くの人が全国各地へ酒造りに出掛けた」と教えてくれる。なぜこんな所に「酒造神」がまつってあるのかうなずけた。

板山村はその名の示すとおり絵図に“山”と記された場所が多い。小説『夜明け前』の冒頭「木曽路はすべて山の中である」ではないが、むかし、むかしその昔、板山路はすべて山の中であったかもしれない…。



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