広報 あぐい
2006.05.15
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あぐいぶらり旅 〜村絵図を歩く(矢口村・高岡村)〜

シリーズ 阿久比を歩く 28

 


矢口村・高岡村絵図(阿久比町誌資料編1村絵図解説書から)


牛の像の奥にまつられる山之神


正面が観音寺。右の森が天満社

箭比やひ神社を後にして村絵図に記されている高岡村山之神に向かう。

舗装されていない細い道を上ると墓地が現れた。少し先には観音寺の屋根が見える。

畑で草取りをする老夫婦に「この辺りに山之神があったみたいなんですけど知りませんか」と尋ねる。「兵隊さんが出兵する前に、あの雑木林の辺りまで歩いて行ったのを見た記憶があるよ」と教えてくれた。

氏神に着く。現在の天満社で境内の看板には「祭神は菅原道真。社伝によると、創建は天暦2年(948)菅原道真の孫英比丸が高尾山の自然と眺望を愛しこの地に神殿を造営した」と由来が書かれている。

境内敷地には昨年高岡地区で行われた「虫供養」の大塔婆が残っていた。

公園で遊んでいた姉妹を迎えに来た“おじいちゃん”に声を掛けると、地区の氏子であることが分かる。

先ほどの山之神について再度尋ねてみた。寝そべっている牛の像の奥を指差して「あの神さんがそうだよ。あの場所からこの天満社に移したんだよ。まだ林の中に社跡が残っているはずだよ」と話してくれた。老夫婦の話ともつじつまが合った。

天満社のすぐ横は、知多四国八十八カ所第17番札所の観音寺がある。絵図に記された観音堂である。私たちが1年前に町内の札所5カ所を巡り「シリーズ阿久比を歩く」の連載を始めた際に訪れた場所だ。(そういえば新聞でも記者が知多四国を歩いて体験記を連載していたが、私たちの方が先。先見の明があったのかも。)

寺の参道の高台から南東を見る。桜は花が散り、葉桜と変わっている。大型スーパーの看板が目に付く。その昔、スーパーの辺りは入江になっていたらしい。英比丸公が別荘地として選んだこの地だけに、高台から望む景色は絶景だったに違いない。

参道を下ると地蔵堂があった。中をのぞくと“子育地蔵菩薩”がふくよかな顔に笑みを浮かべ、子どもを抱いている。

今朝、家を出る前に姉妹げんかをする自分の娘たちを大きな声でしかった。常に笑顔で良き親になりたいところだが、最近子どもたちが少し反抗期だ。子育ては難しい。“地蔵さん”をしばらく眺めて帰路に着いた。



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