今回から阿久比町誌資料編1で紹介されている村絵図(天保12年(1841)に描かれた阿久比16カ村)を見ながら、昔と今を比べて1地区ずつ歩くことにした。
横松村絵図を見ると中央に 乙川村境 から 英比大河筋 まで道が伸びている。現在、横松地区の公民館や遊園地、神明社の前を通る道だろう。この道を東から西に向かって歩いた。
村絵図には北側には山、南側には田がある。風景は昔も今も変わりない。
ゲートボールを楽しんでいる皆さんの声が聞こえてくる。場所から考えると、昔“村西池”があった付近だろう。プレーの合間に男性に聞いてみた。「昔の村絵図を見ると、この辺りに池があったようですが」と尋ねると、「あったよ。山車のゴマは知ってるかなあ。車輪なんだけど、祭りが終わった後その池に沈めて保管してたなあ」と昔を懐かしむように話してくれた。
次は地図にある“毘沙門”を探すことにした。北に向かって少し歩くと1本の木が生い茂り、地面には基礎らしき跡と瓦のかけらが落ちている場所にたどり着く。ここに毘沙門があったと思うが確証がない。近くの民家を訪ね聞いてみることにする。2人のおばあさんの話から“毘沙門”の存在を突き止めることができた。
「あそこに毘沙門さんがいましたよ。伊勢湾台風でお堂が壊れて、神明社に移ったらしいけど見たことはないなあ」
早速、神明社に向かう。毘沙門らしきものはどこにもない。神社に仏像?疑問は残る。ここで帰ってしまうのも悔しい。聞き込みを続ける。
「毘沙門さんを社(神明社)の隅に置いてまつったからいるはずだよ」と伊勢湾台風があった当時、区長だったおじいさんの話を聞くことができた。
疑問は晴れた。再び神明社に戻り社の中をのぞいた。姿は暗くて見えない。しかし、確かに毘沙門はいることだろう。毘沙門はインド神話では財宝の神といわれる。ぶらり旅に出る前、友人に昼飯をおごった。財布の中はさみしくなっている。見えない毘沙門に「宝くじがあたりますように」と軽く頭を下げた。 |