広報 あぐい
2005.04.15
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あぐいぶらり旅
〜知多四国八十八カ所
 弘法参り

シリーズ 阿久比を歩く 2


境内西側にある弘法堂
圓通山 興昌寺

本尊は釈迦如来で曹洞宗に属する。
寺伝によると桶狭間の戦い(文禄3年=1560)の5月19日、織田信長が今川義元を奇襲して討ったとき、今川勢の部下岡戸祢宜左衛門が福住に住み、亨隠慶泉大和尚を迎えて開山したといわれている。


第十四番札所の福住地区興昌寺に着いた。
まず目についたのは、山門に向かって左側にある行者堂だ。
ここには知多四国八十八カ所霊場を開いた、福住出身の岡戸半蔵がまつられている。身近なところにりっぱな業績を残した人物がいたかと思うと、なんだかうれしい気持ちになった。
山門をくぐって境内に入った。右手には立派なイチョウの木があった。(樹齢一五〇年くらいになるそうだが、一五〇年であれだけ立派になるとは驚いた)
納経所のある庫裡のチャイムを鳴らした。若い“おっさん”が出てきてくれた。「御納経」に朱印をしてもらい少し話を聞いた。
「寺にまつわる何か面白い話はないですか」と尋ねると、「今日は住職が留守をしています。私は副住職ですので詳しいことが知りたければ後日聞いてください」と前置きした後に話を聞かせてくれた。
「この寺には、もともと福住地区の縣神社にあった かわずの面(能面)を預かり大事に箱に入れて保管してあるのですが、平成六年七月の大渇水の際、地区の人たちに昔から雨乞いに使われた面を開帳し、祈祷してもらいたいと住職に依頼があり、開帳して本堂に供え「大般若」をあげたんですよ。そうしたらその日の夕方、少し雨が降りましてね。それから不思議なことに、その日から住職が高熱を出して、三日間寝込んでしまいました。住職は「わしが犠牲になったのかなあ」と首をかしげて笑っていました」
世の中には本当に科学では証明できない不思議なことがあるのだなあと感じた。
本堂横の観音堂に入れてもらった。天井を見上げると格天井になっていて正方形に仕切られた枠の中には、人や動物などの絵が描かれていた。
観音堂の正面中心には如意輪観音坐像が安置され、その脇には三十三観音菩薩像が並んでいた。三十三のそれぞれ違う顔をした観音菩薩は、どの顔もみな優しい顔立ちであった。
弘法堂に手を合わせた後、境内を出ることにした。山門に立ち止まり振り返って一礼をして興昌寺を後にした。
次に第十五番札所坂部地区の洞雲院に向かった。
福山川沿いを西に向かって歩いた。川沿いの土手に、黄色い花を咲かせた“菜の花”がよく目に付いた。
英比小学校近くの英比音橋を通りかかったところで、耕運機を運転する人とすれちがった。そろそろ田を耕す季節。冬眠から目を覚ましたカエルたちがこの辺りで 合唱 を始める日も近い。

次回は洞雲院です。
 
朱印を押す前田副住職

観音堂の天井に描かれた絵


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